老朽化が進む世田谷一家殺害事件の現場住宅が取り壊しへの岐路に立っている。遺族にとって忌まわしい事件を想起させる「負のシンボル」である一方、警視庁の事件解決への思いを感じる「熱意の証」でもある。事件は12月で発生から19年。遺族は相反する思いを抱えたまま、自らが現場を無くす重い判断を下すことに戸惑っている。
東京都立祖師谷公園に隣接する現場住宅は外壁などの飛散防止のため、青い防護ネットで覆われている。裏手の壁には大きなひびが走り、つる草も屋根まで生い茂る。昔と変わらないのは、住宅前で警備に当たる警察官の姿があることだ。
被害者の宮沢泰子さんの姉、入江杏さん(62)が現場に足を運ぶ気持ちになれたのは、事件発生から14年後。それを最後に、再び訪れることはなかった。だが、いざ警視庁から取り壊しの打診を受けると、新たな葛藤が生まれた。
「(取り壊しで)悲しみを忘れたい思いは強い。でも、未解決のまま取り壊せば、4人の御霊(みたま)がどう思うか。現場を無くしてしまって本当にいいのか」
警視庁にとっても現場は特別な存在だ。年末になるたびに、捜査幹部や捜査員たちが花を手向けて黙祷(もくとう)し、犯人逮捕への思いを新たにする。これまでの取材でも、捜査1課OBたちは「犯人に現場を案内させ、事件を一から思い起こさせる必要がある」と語気を強めていた。
捜査関係者によると、警視庁内では今回の動き以前にも取り壊しが検討されたが犯人逮捕前の実行に慎重論もあり、まとまらなかったという。しかし老朽化が進み、倒壊などの懸念が強まった。警視庁は3D映像という最新技術も駆使して現場周辺を記録するなど環境整備を行い、遺族への正式な打診に踏み切った。
鬼籍に入った遺族の中でも現場住宅への思いは分かれていた。入江さんの母は「事件のことは誰にも知られたくない。現場は見たくない」と心を閉ざしたまま他界。夫は「事件解決まで現場を残さなくては」と言い残して亡くなった。
遺族側の窓口の入江さんは建物の危険性を客観的に知りたいとして、住宅診断の実施を警視庁に要望。「今は現場が負のシンボルになってしまっているが、事件解決にかける熱意の証として残していただく道もあるのでは」。その心はなお揺れている。(村嶋和樹)