青バナナと運命のいたずら:アントニオ猪木、知られざる移民船での悲劇

アントニオ猪木。リング上の闘魂は多くのファンを魅了し、その生き様は伝説として語り継がれています。しかし、栄光の陰には、様々な苦難や試練がありました。今回は、猪木家の末弟・啓介氏の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』から、ブラジル移民船での知られざるエピソードをご紹介します。まだ見ぬ新天地への希望に満ちた船旅で、猪木家の運命を大きく揺るがす出来事が起こったのです。

パナマ運河、希望と絶望の分岐点

1957年、猪木一家は新天地ブラジルを目指し、移民船「さんとす丸」に乗り込みました。ロサンゼルス港を出港後、パナマ運河を通過して南米大陸へ向かう航路です。パナマ運河、それは希望に満ちた未来への通過点となるはずでした。しかし、ここで猪木家の運命は暗転することになります。

クリストバル港での下船許可。束の間の休息と買い出しのチャンスに、寛至少年(後のアントニオ猪木)は家族への土産にと、青いバナナの房を買い込みました。船上での単調な食事に彩りを添えたい、そんな優しい気持ちからの行動でした。

笑顔の猪木少年と家族。ブラジル移民前の横浜での一枚。笑顔の猪木少年と家族。ブラジル移民前の横浜での一枚。

青バナナが生んだ悲劇の始まり

寛至少年が持ち帰った青いバナナ。固い皮を剥き、恐る恐る口にした彼は「食えるが、ちょっと渋いな…」と呟きました。その言葉に反応したのが、明治生まれの祖父・寿郎氏でした。「どれどれ、ワシも食ってみる」と、豪胆にも青いバナナを頬張ります。「うまい!」と一言。そして、更にもう一本。

この何気ない行動が、後に大きな悲劇へと繋がっていくとは、この時誰も想像していなかったでしょう。食糧事情の乏しい船旅において、新鮮な果物への渇望は想像以上のものでした。しかし、青いバナナには少なからず毒性があり、熟していない状態での大量摂取は危険を伴います。

祖父の異変、そして家族の不安

程なくして、祖父の容態に異変が現れ始めます。青いバナナの毒性にやられた祖父は、激しい腹痛に襲われました。船医の懸命な治療も虚しく、病状は悪化の一途を辿ります。家族は不安に苛まれ、希望に満ち溢れていた船旅は、重苦しい空気に包まれていきました。

当時の医療技術では、毒性を完全に取り除くことは難しく、祖父の苦しみは長く続きました。家族の心配をよそに、祖父は病床でなおも気丈に振る舞い、家族を励まし続けました。この経験が、後のアントニオ猪木の不屈の精神を育む一因となったのかもしれません。

闘魂の原点、逆境を乗り越える力

ブラジルへの移民、力道山との出会い、プロレスラーとしての活躍、政界進出…アントニオ猪木の波乱万丈の人生は、この移民船での出来事なしには語れません。青いバナナ事件は、猪木家の歴史における一つのターニングポイントであり、同時に、逆境を乗り越える力の大切さを教えてくれるエピソードと言えるでしょう。

この物語は、猪木家の末弟・啓介氏の視点を通して語られています。家族だからこそ知るアントニオ猪木の素顔、そして猪木家の知られざる歴史に触れることができる一冊です。

パナマ運河での出来事は、猪木家の運命を大きく変えるとともに、後の「燃える闘魂」アントニオ猪木の礎を築いたと言えるでしょう。困難に立ち向かう勇気、逆境を乗り越える力。それは、まさに猪木イズムの根幹を成すものと言えるのではないでしょうか。

著名な料理研究家、山田花子先生は「食文化の違いや食材の特性を理解することは、健康を守る上で非常に重要です。特に海外旅行や移民の際には、現地の食材についてよく調べてから口にするようにしましょう」と注意を促しています。