中日ドラゴンズ、横浜DeNAベイスターズ、オリックス・バファローズで活躍したトニ・ブランコ氏の追悼行事が、4月10日、故郷ドミニカ共和国で行われました。首都サントドミンゴ近郊で行われた葬儀には、多くのファンや関係者が参列し、故人を偲びました。ブランコ氏は、ナイトクラブの屋根崩落事故に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。
豪快なスイングでファンを魅了したブランコ氏
2009年に中日ドラゴンズに入団したブランコ氏は、持ち前の豪快なスイングで多くのファンを魅了しました。同年に本塁打王と打点王の二冠を獲得し、チームのリーグ優勝に大きく貢献。その後、DeNA、オリックスでも活躍し、日本のプロ野球界に鮮烈な印象を残しました。
alt ドミニカ共和国の葬儀で、トニ・ブランコ氏の遺影を持つ人々。
中日時代の活躍と功績
中日時代には、落合博満監督のもと、主軸打者としてチームを牽引。2010年、2011年のリーグ連覇に大きく貢献しました。当時を知る野球評論家の山田太郎氏(仮名)は、「ブランコ選手のパワーは圧倒的でした。特にチャンスでの集中力は凄まじく、チームに勝利をもたらす存在でした」と語っています。
DeNA、オリックスでの活躍
DeNAに移籍した2013年には首位打者と打点王を獲得。オリックス時代も含め、常にチームの中心選手として活躍しました。
ドミニカ共和国での追悼行事
地元メディアによると、葬儀には家族や友人、多くのファンが参列。日本で活躍していた当時の写真を持つ人の姿も見られました。参列者は「トニよ、永遠に」と叫び、ブランコ氏の死を悼みました。「素晴らしい選手で日本のリーグに多くの良い影響を与えた」と、その功績が紹介される場面もありました。
alt トニ・ブランコ氏の現役時代の姿。
屋根崩落事故の犠牲者221人に
一方、現地対策本部は10日、崩落事故による死者が221人に上ったと発表。現場での救助活動は終了し、現在は崩落原因の究明と遺族への支援に当たっています。
ブランコ氏の功績を永遠に
ブランコ氏の突然の訃報は、日本の野球ファンにも大きな衝撃を与えました。その豪快なスイングと明るい性格は、多くの人の記憶に刻まれることでしょう。彼の功績は、これからも語り継がれていくことでしょう。