幕末の動乱期、世界を股にかけて活躍した日本人をご存知でしょうか?ジョン万次郎、江戸時代にアメリカへ渡り、太平洋を舞台にたくましく生きた船乗りです。哲学者の鶴見俊輔氏が『ひとが生まれる 五人の日本人の肖像』(角川新書)で取り上げた、社会の周縁で時代に抗った五人の一人。本記事では、ジョン万次郎の壮大な人生を通して、「日本人とは何か」を改めて見つめ直します。
海を渡った少年、万次郎の漂流と帰国
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万次郎のアメリカ漂流は、まさに運命のいたずらでした。しかし、故郷への帰還は、長年の苦労と入牢の覚悟の上に成し遂げられた、強い意志に基づく行動でした。「国」という言葉で万次郎が思い浮かべたのは、国家や政府ではなく、故郷で共に暮らした人々のこと。彼を突き動かしたのは、母への想い、仲間への愛、故郷への愛郷心でした。
世界を知る男、万次郎のグローバルな視点
万次郎は、当時の日本人として稀有な経験の持ち主でした。捕鯨船に乗り、世界一周を果たす中で、彼は海から世界を俯瞰し、多様な文化に触れました。故郷への愛郷心を持ちながらも、世界には同じように故郷を愛する人々が暮らしており、彼らと親しく交流できることを実感していたのです。
幕末・明治の留学生との違い
幕末・明治期の留学生、例えば伊藤博文、井上馨、福沢諭吉などは、主にヨーロッパやアメリカの陸上文化、そして国家制度を学びました。彼らは日本に法律、銀行、陸軍、海軍、鉄道、新聞、学校などをもたらし、近代化に貢献しました。しかし、彼らの視点は陸上にあり、万次郎のような海の視点、グローバルな視点とは異なっていました。
埋もれた才能、万次郎の不遇
万次郎は幕府直参、海軍教授所教授、そして明治維新後は開成学校(後の東京大学)教授を務めましたが、通訳と翻訳以外ではその能力を生かされることはありませんでした。少年時代から青年時代にかけて異国で培った異文化理解力やコミュニケーション能力、そしてグローバルな視点は、当時の日本社会では活かされなかったと言えるでしょう。料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「もし万次郎の才能がもっと活用されていたら、日本の近代化は違った形になっていたかもしれない」と指摘しています。
ジョン万次郎、その先見性
ジョン万次郎の物語は、グローバル化が叫ばれる現代においても多くの示唆を与えてくれます。真の国際人とは何か、国とは何か、故郷とは何か。彼の生き様は、私たちに大切な問いを投げかけています。