日本の象徴である天皇。その歴史は古く、神武天皇から数えて126代続く長い歴史を誇ります。しかし、本当に最初の天皇は神武天皇だったのでしょうか?この記事では、天皇号の起源、そして意外な最初の天皇像に迫ります。
天皇号、その誕生の謎
一般的に、天皇号は天武天皇の時代に確立されたとされています。しかし、近年の研究では、それ以前にも天皇号が使われていた可能性が指摘されています。実は、中国では紀元前より皇帝という称号が存在し、周辺諸国は「王」を名乗ることで皇帝に従属する立場を示していました。日本も例外ではなく、卑弥呼や倭の五王も「王」を名乗っていたことが史料から分かっています。
意外な事実!最初の天皇は女性だった?
歴史学者の中には、君主号として「天皇」を内外に発した最初の人物は女性だったと主張する人もいます。これは、皇室研究の専門家である高森明勅氏の見解であり、『愛子さま 女性天皇への道』(講談社)で詳しく論じられています。高森氏は、前近代の東アジア世界における君主号の変遷を分析し、天皇号が成立した過程を丁寧に解説しています。
天皇皇后両陛下
稲荷山古墳の鉄剣銘文が語るもの
埼玉県行田市にある稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文には、「獲加多支鹵大王」という名が刻まれています。これは雄略天皇を指すと考えられており、当時「大王」は王よりも上位の称号として使われていたことが分かります。このことから、5世紀には既に天皇号の原型が存在していた可能性も考えられます。
中国との関係性:木簡と唐の皇帝
天皇号の成立には、中国の影響も無視できません。中国で出土した木簡には、日本の君主を「天皇」と表記したものが存在します。また、唐の皇帝も日本の君主を「天皇」と呼んでいたという記録が残っています。これらの史料は、天皇号の成立過程を探る上で重要な手がかりとなります。
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まとめ:天皇号をめぐる歴史の旅
天皇号の起源には、まだ多くの謎が残されています。神武天皇即位から126代続く天皇の歴史。その始まりに隠された真実に迫ることで、日本の歴史をより深く理解することができます。この記事をきっかけに、天皇の歴史についてさらに深く調べてみてはいかがでしょうか。