6月23日、東京オリンピック柔道男子100kg級の金メダリスト、ウルフ・アロン選手(29)が新日本プロレスに入団したことが発表され、大きな驚きをもって迎えられました。柔道家から総合格闘技への転向は過去にも例がありますが、プロレスへの転向はバルセロナ五輪銀メダリストの小川直也氏以来であり、オリンピック金メダリストとしては史上初の快挙となります。この異色のキャリアチェンジに対し、特にバラエティ業界からは惜しむ声が上がっていると言います。
東京五輪柔道金メダリスト、新日本プロレス入団を発表したウルフ・アロン選手
柔道金メダリストからプロレスへ転身
異例の転身とその背景
柔道界のトップに立ったウルフ・アロン選手がプロレスという新たな道を選んだことは、多くの関係者やファンにとって予想外でした。金メダリストが柔道以外の格闘技に転身するケースは珍しいですが、プロレスは特に異質と捉えられています。過去には柔道家でオリンピックメダリストである小川直也氏がプロレスラーとして成功を収めており、その軌跡と比較する声も聞かれます。ウルフ選手の転身は、その中でも最高峰である金メダリストとして初めての事例となり、歴史的な意味合いを持つと言えるでしょう。
テレビタレントとしても活躍
五輪後の人気と「お笑い偏差値」
ウルフ選手は、2021年の東京五輪で金メダルを獲得した直後から、その明るいキャラクターと独特のトークセンスでたちまちお茶の間の人気者となりました。五輪閉幕後すぐに多数のテレビやラジオ番組に出演し、特にTBS系の「オールスター感謝祭」ではクイズ企画で総合2位になるなど、その活躍は多岐にわたりました。当時の出演番組数は半年で100本を超えたとも言われており、その人気の背景には、いじられても面白い「ボケキャラ」としての才能がありました。鋭い返しやアドリブ力も高く評価され、「お笑い偏差値の高いアスリート」としてバラエティ番組には欠かせない存在となっていたのです。自身を動物に例える問いに「オオカミの皮を被ったタカアンドトシのタカさん」と答えるなど、根っからのお笑い体質であり、柔道界のPRにも大きく貢献しました。
パリ五輪への道のりと引退
メディアでの活躍が目覚ましい一方で、柔道選手としての道のりは順風満帆ではなかったようです。昨年のパリ五輪代表選考は難航し、全階級を通じて最後に代表内定を勝ち取りました。五輪直前のテレビ出演時には、代表選考が遅れた理由について「テレビ出すぎて」「楽屋弁当、おいしいっすね」「その甲斐もあって、体重が125キロに」と語り、100kg級に戻すのに苦労したことを明かしています。結局、パリ五輪の個人戦では7位という結果に終わり、同年9月に現役引退の意向を表明しました。今年6月8日の全日本実業柔道団体対抗大会を柔道家としての最後の試合と定め、所属チームでの全試合に勝利しましたが、チームは準優勝でした。
印象が変わる私服姿。バラエティ界からも注目されたウルフ・アロン氏
引退直後の「ご意見番」デビュー
『サンデーモーニング』での切れ味
柔道選手としての引退を正式に発表したわずか2日後の6月10日、ウルフ選手は早速、新たな活躍の場として期待されていたメディアに登場しました。6月22日放送のTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナーに「ご意見番」として出演し、そのコメンテーターとしての才能を発揮しました。サッカーJ2の試合で起きた、相手選手の首を絞めるプレーに対して、「首を絞めたければ柔道をやればいいだけの話。技としてありますから」と独自の視点からコメントするなど、相変わらずの切れ味鋭い発言は、今後スポーツキャスターなどテレビでのオファーが殺到することを予感させました。
プロレス入りの理由と今後の展望
「好きだったから」というシンプルな理由
「サンデーモーニング」出演の翌日、突如発表されたのが新日本プロレスへの入団でした。テレビでの活躍が期待されていた矢先の出来事だったため、バラエティ業界を中心に衝撃が走ったのです。ウルフ選手自身はプロレスを選んだ理由について、「好きだったから」と実にシンプルに答えています。大学生の頃から毎週、新日本プロレスのテレビ放送を録画して見るのが楽しみで、「いつか柔道でやり残すことがなくなったらやりたいと思っていました」と、プロレスラーへの憧れを以前から抱いていたことを明かしました。この転身は、単なるキャリアチェンジではなく、長年の夢を追う決断だったようです。柔道金メダリスト、テレビタレント、そしてプロレスラー。ウルフ・アロン選手の今後の多才な活躍に注目が集まります。
参考資料:
Yahoo!ニュース掲載記事 (Source link )