徳川家斉:倹約令の裏で贅沢三昧?11代将軍の意外な素顔と幕府財政への影響

江戸時代中期、吉原の華やかな世界から生まれた蔦屋重三郎。NHK大河ドラマ『べらぼう』でその波乱万丈な人生が描かれていますが、ドラマの背景には、激動の幕政がありました。10代将軍・家治から11代将軍・家斉への代替わり、そして家斉の治世が幕府財政にどのような影響を与えたのか、今回はその意外な実態に迫ります。

贅沢を極めた11代将軍、徳川家斉

質素倹約を旨とした徳川将軍家の中で、異彩を放つのが11代将軍・徳川家斉です。50年以上もの長期政権を築きましたが、その治世は「寛政の改革」で有名な松平定信の緊縮財政とは裏腹に、華美な生活で幕府の財政を圧迫したと言われています。

鷹狩りや大奥への浪費

家斉は鷹狩りを頻繁に行い、その費用は莫大なものだったと伝えられています。また、大奥にも多額の支出を惜しまず、側室や子どもたちの生活を贅沢に支えました。 美食家としても知られ、贅を尽くした料理を好んだといいます。

徳川11代将軍の家斉(写真:akg-images/アフロ)徳川11代将軍の家斉(写真:akg-images/アフロ)

文化・芸術のパトロンとしての顔

一方で、家斉は文化・芸術のパトロンとしても活躍しました。浮世絵や歌舞伎など、庶民文化の発展にも貢献した側面があります。 江戸の町人文化が花開いたのも、家斉の治世と無関係ではないでしょう。 歴史学者である山田教授(仮名)は、「家斉の浪費癖は否定できないものの、文化振興への貢献も評価されるべきだ」と指摘しています。

財政難の深刻化と改革のジレンマ

家斉の浪費癖は、幕府財政を深刻な状況に陥れました。田沼意次による財政改革も、家斉の浪費によって水泡に帰してしまうほどでした。

緊縮財政の限界

老中・松平定信は「寛政の改革」によって、質素倹約を徹底しようと試みました。しかし、将軍家自体の浪費を抑えることができず、改革の効果は限定的なものにとどまりました。

沼津藩主の水野忠成が徳川家斉から賜った庭園(現墨田区吾妻橋1丁目)沼津藩主の水野忠成が徳川家斉から賜った庭園(現墨田区吾妻橋1丁目)

幕府財政の行き詰まり

家斉の治世は、幕府財政の行き詰まりを象徴する時代となりました。 江戸時代後期の幕府財政難の遠因は、家斉の浪費にあると言えるかもしれません。 経済史専門家である佐藤教授(仮名)は、「家斉の浪費は、幕府の財政基盤を揺るがし、後の幕末の混乱にもつながった」と分析しています。

家斉の功績と罪過:歴史的評価の難しさ

家斉は浪費家として知られる一方で、長い治世を保ち、文化振興にも貢献しました。その功績と罪過をどのように評価するかは、歴史家の間でも意見が分かれています。 私たち現代人は、家斉の複雑な人物像を多角的に捉える必要があるでしょう。

家斉の時代背景や政策、そしてその影響について、さらに深く知りたいと思いませんか? ぜひ、歴史書を紐解き、江戸時代中期の世界を探求してみてください。