日本大使公邸にロケット弾攻撃…仏軍ヘリが現場に急行、救出 「一時、殺害を覚悟した…」 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(47)


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■街は異様な空気に包まれ…

《2011年3月下旬、コートジボワール北部に集結していた軍(旧反乱軍)が南進し始めた》

完全武装した兵士たちがトラックに乗り、南北をつなぐ幹線道路を最大都市アビジャンに向け進軍したのです。「全土で大戦乱になる」。こう懸念していると、驚いたことに、北部軍は幹線道路でほとんど抵抗を受けず、1~2日のうちにアビジャン近郊まで到達した。

アビジャンは完全包囲され、奇妙な平穏の日々が続いた後、3月31日に突然、市街戦が始まりました。

街は異様な空気に包まれ、道路から車が一切消えて随所でバリケードが設置された。街の至る所で、迷彩服の兵士たちが激しく銃撃し合いました。

私は大使公邸に閉じ籠もり、情勢を追った。市街戦は一進一退。情報が錯綜し、早く決着が付くことだけをひたすら願っていたのです。

■ロケット弾、公邸玄関吹き飛ばす

《市街戦開始から約1週間たった4月6日朝、とんでもない事態が起こった》

朝7時、日本大使公邸の正面玄関にある監視カメラに、兵士たちが群がる様子が映りました。

「これは不自然だ」。そう思う間もなく、1人の兵士が対戦車ロケット砲(RPG)を構え、発射。砲弾は正面玄関を吹き飛ばし、公邸の壁に大穴を開けました。

砲弾は廊下を貫通し、反対側の窓から飛び出した。間もなく約20人の傭兵たちが乱入してきました。

■緊張と重圧、顔ひきつる…

《公邸が戦場になった》

私は現地職員らと一緒に部屋に立て籠もり、あちこちに電話を掛けながら、切り抜ける策を模索。約15時間後、フランス軍が救援部隊を派遣し、周辺を掃討した上、ヘリコプターで私たちを救出してくれました。

この事件は、米CNNテレビや英BBC放送でも報じられ、多くの方々に心配をかけた。フランス政府・軍、日本政府、在仏日本大使館、日本国連代表部などが連携して救出作戦に動いてくれたおかげで、私たちは辛うじて、生き延びることができました。



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