「ぜいたくはするな」「働いて得たお金で暮らせ」“経営の神様”松下幸之助が唱えていた「家族への教え」


【画像】こたつでくつろぐ松下幸之助と、妻のむめのさん

 松下が94歳で亡くなった1989年当時、ひとり娘の幸子さん(2021年に99歳で逝去)が明かしていた、家族の記憶とは。

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 一番苦労したのは、終戦後だったと思います。すべて父の個人保証でお金をかりておりましたので、たいへんな借金を背負いこんでしまいました。会社も一時は2、3万人いたものが8000人ぐらいに縮んでしまいました。それをどう建て直そうかと苦心している時に財閥指定を受けて関連会社が分離され、また預金封鎖でお金も自由にならなくなってしまい、家の経済も苦しかったようです。大阪にいらっしゃるお友達、5、6人が見るに見かねてお金をかしてくださいまして、それでなんとか暮らしていたような状態でした。

家ではよくヤケ酒を

 家の中でお酒を飲むのは、父一人だけ。私がお酌をしたりすると、「亭主が酒を飲まないから、給仕が下手だ」なんてブツブツ言いながら飲んでおりました。明るいお酒ではありませんでしたね。

 一生懸命働いて、なんでこんな目にあわなければならないのか、という気持だったのでしょう。

 母が心配しまして、「洋酒は強くて身体によくないから」ということで日本酒に変えさせたんです。その後、事業が落ち着いて、打ち込めることが出てまいりましたので、それほどは飲まなくなりました。でも、お酒は亡くなる少し前まで、お猪口に2杯とか、ビールをコップ半分とか、飲んでおりました。



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