今年1月27日に行われたミス日本コンテストで見事、グランプリを受賞した石川満里奈さん(19)。大きな瞳とスラリとしたスタイルが印象的なイマドキ美女でありながら、特技はけん玉と弓道というシブい一面も。おまけに伯母は、あの「演歌の女王」なのだった。
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「隠すようなことではないかなと思って」
グランプリを受賞した際には、大粒の涙をポロポロと流していた満里奈さん。
「あの時は本当に信じられない思いでした」
と、ご本人は語る。
「“エントリーナンバー4番!”とアナウンスされた時は“エッ、私4番で合ってる?”と、動揺しながら自分の付けている番号札を見てしまったほどです。ファイナリストの中で最年少だったこともあり、グランプリが頂けるとは思ってもみませんでした」
しかも、今回は“ダブル受賞”だった。
「グランプリの発表前にミス着物を頂いていたんです。だから、もう(他の受賞は)ないかなと思って。油断してましたね」
奇しくも、長年着物姿で大舞台に立ってきた演歌歌手の石川さゆり(67)は父親の姉で、つまり満里奈さんの伯母にあたる。
「ファイナリストになるとマスコミの取材が入り、芸能人の親族の有無を聞かれるので、その時に公表しました。隠すようなことではないかなと思って。伯母からも“満里奈らしく頑張ってね”とエールを送ってもらっていました」
伯母と同じ15歳でデビュー
初々しくはにかむ彼女だが、デビュー自体は5年前。これまた奇遇にも、伯母が歌手として世に出たのと同じ15歳で芸能界に入った。
「中学2年の時、オーディションを経て映画で脇役を演じました。その頃から今の事務所に所属しているのですが、なかなか芽が出なくて。周囲には順調に芸能のお仕事をしている子もいて、このままでいいのかなと悩んでいた頃、ミス日本の応募要項を母が見つけてきてくれたんです」
昨春入学したフェリス女学院大学に通いながら、ミス日本への挑戦を決めたという。
もっとも、グランプリを取って一花咲かせてやろうという野心はなかった。
「出場者が参加できる勉強会に魅力を感じて応募したんです。4カ月間、ファッションやスピーチ術、日本の歴史など多岐にわたる内容を学ぶのですが、今後のお仕事に生かせるかもしれないなと思いまして。日本舞踊の(三代目)藤間紫先生の講義では、着物での所作を教わり、とても勉強になりました。林野庁の講義で聞いた木造高層ビルのお話も印象に残っています」
地に足の着いた話しぶり。15歳で歌手デビューしたもののヒット曲に恵まれず、19歳にして「津軽海峡・冬景色」でブレイクするまで民謡や浪曲を学び、研鑽を積んだ石川さゆりをその姿は彷彿させる。