公に目にする記者会見の裏で、ときに一歩も譲れぬ駆け引きが繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。50歳の若さで大使に就任し、欧州・アフリカ大陸に知己が多い岡村善文・元経済協力開発機構(OECD)代表部大使に、40年以上に及ぶ外交官生活を振り返ってもらった。
■アル・カポネ、にあらず…
《2011年秋、米シカゴ総領事に就任した》
シカゴと聞くと、アル・カポネのマフィア暗黒街を思い浮かべる人もいると思います。しかし、とんでもない。ミシガン湖と運河沿いに摩天楼が並び、夏には緑で覆われる美しい都市。私の担当は、シカゴが位置するイリノイ州だけでなく、「中西部」と呼ばれる北部ノースダコタ州やミネソタ州から、中部ミズーリ州、カンザス州に至る計10州の広大な地域でした。
《シカゴから各州を回りながら、驚いたことが2つあった》
1つ目は、私が思っていた米国と違う米国が広がっていたということです。大陸は広大で、千キロも内部に行くと全然違う。
そして、そこに住む人々は、およそ私が考える米国人、つまり、首都ワシントンや大都市ニューヨークで相手にする人々とは、かなり異なっていた。
各州の町を訪れると、何をどう食べるとそうなるのか、とんでもなく太った人が多かった。町の郊外には、延々と貧しそうな地域が広がる。コンテナが散らかり、それが家なのだという。居住していたのは、アフリカ系ではなく白人。町のバーやレストランに行って、聞こえてくるのは英語ではない。スペイン語のようでした。
■「警察を待つ余裕ない」
田舎の宿に宿泊し、宿の主人のサロンに行くと、暖炉の横にライフル銃が立てかけてあった。恐る恐る聞くと、「悪人が来たら、これでズドンだ」と平然と言うのです。「警察を待っている余裕はない。自分で仕留めないと」とも言いました。私が想像していた米国人とは、かけ離れた人々ばかりでした。
《シカゴでは、主要紙シカゴ・トリビューンが世界情勢はおろか、ワシントンの動きもほとんど報じていなかった》