浦和に倍差、大宮との明暗
リクルート社の「SUUMO住みたい街ランキング」は、各種ランキングのなかでも注目度が高い。その2025年版で、さいたま市の大宮は2年連続で2位にランクインした。2018年の時点では9位だったが、毎年順位を上げ、2024年には吉祥寺を追い越した。
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ここで注目すべきは、同じさいたま市内にある浦和との違いだ。どちらもJR京浜東北線沿線に位置し、市の中心を担う主要駅である。それにもかかわらず、2025年のランキングでは大宮が2位(1088点)、浦和は11位(580点)。得点にはおよそ2倍の開きがある。
わずか10kmほどしか離れていないふたつの駅で、なぜこれほどまでに「人気格差」が広がったのか。
開発予算に見る主導権の偏在
大宮と浦和の間には、長らく「浦和優位」という関係性が存在していた。
浦和は江戸時代から中山道の宿場町として栄え、県庁所在地としても行政の中枢を担ってきた。一方、大宮は氷川神社の門前町として始まり、戦後は鉄道の一大ジャンクションとして急成長。商業と交通の要所として独自の都市機能を発展させてきた。
2001(平成13)年、旧浦和市・大宮市・与野市が合併し、2005年には岩槻市も加わって「さいたま市」が誕生。形式上は政令指定都市への再編を果たしたが、その内部には依然として明確な重心の偏りが残された。
初代市長は旧浦和市長が務め、市役所も旧浦和市内に設置された。政治的・行政的な主導権は一貫して浦和が握り続けてきた。
財政面でも差は歴然としていた。2001年度から2018年度までの都市開発予算の累計は、浦和が約1400億円、大宮がその約6割となる約858億円と大きな開きがある。予算の配分においても、浦和が優遇されてきた構図が浮かび上がる。
市役所本庁舎の移転問題は象徴的だ。大宮新都心への移転構想は長く棚上げされてきたが、ようやく2022年になって正式決定。都市機能の再バランスに向けた一歩とされるが、そこに至るまでには20年超の論争があった。
このように、歴史・行政・財政といった多層的な要素が絡み合うなかで、大宮と浦和はさいたま市のなかで異なる軌跡を描いてきた。