編集者でありエッセイストの藤井セイラ氏は、長年にわたる夫からの家庭内暴力(DV)、特にモラルハラスメントと経済的支配に苦しみ、40歳の時に幼い二人の子どもを連れて家を飛び出しました。離婚調停は不成立に終わり、仕事や子どもの学校・園の問題が重なる中、地元である富山への帰郷も困難を極めています。彼女が結婚生活から現在に至るまで直面してきた困難と、その中で抱いた想いを深く掘り下げていきます。
結婚前の「擬態」と豹変する夫の態度
「交際中は『家事も何も一切しなくていい』と、彼はこの上なく優しかった。でも、あれは“擬態”だったのだと思います」と藤井氏は語ります。DVは結婚前に見抜くのが極めて難しいと、自身の経験から指摘しています。
富山県の公立高校から東京大学文学部に進み、リクルートに就職した輝かしい経歴を持つ藤井氏が27歳で結婚すると、夫の態度は一変しました。家事の全てを藤井氏に任せ、さらには給与の全額を渡すよう要求する経済的DVが始まったのです。
「念のため毎月3万円だけ別に貯めていたのですが、半年後に『少なくないか?』と問い詰められました。『少し心配だったから』と正直に答えた瞬間、振り上げた拳が頬をかすめました。それが恐ろしくて、それ以降は手元のお金はすべて渡すようになりました。」これは、精神的DVと身体的暴力が複合的に彼女を追い詰めていった最初の兆候でした。
日常を蝕む精神的・経済的DVの実態
夫は、掃除、洗濯、料理はもちろん、買い出し、ゴミ出し、害虫駆除、さらには調べ物や旅行の手配まで、生活のあらゆる側面を妻である藤井氏に押し付けました。少しでもミスがあれば舌打ちや小突く行為が繰り返され、藤井氏の自尊心をじわじわと削り取っていきました。そして、お金の全ては夫の手の中にあり、藤井氏の経済的自由は完全に奪われていました。何度もこの状況から逃れようと試みましたが、そのたびに夫によって連れ戻されたと言います。
「私はただ、感情をぶつけるためのおもちゃ、あるいはゴミ箱のような存在だったのだと思います。」
このような環境下で、藤井氏の体には異変が生じ始めました。味覚障害、皮膚病、メニエール病、気管支喘息など、次々と病気が発症し、止まらない咳のため出社も困難になりました。夫からは「好きな仕事だけして生きていけばいい」と優しい言葉で退職を勧められましたが、辞めた途端に「俺がいなければ野垂れ死にだ」と手のひらを返されたのです。
「会社を辞めずに、休職制度を利用すべきでした。経済力だけは手放してはいけなかった。夫に少しでも不満を伝えると、『俺より1円でも多く稼いでから言え』と言われ、私の立場はますます弱くなっていきました。」
自由を奪う支配と孤立の深化
結婚前から藤井氏が持っていた自分名義の銀行口座やクレジットカードも、夫によって解約させられ、夫の家族カードを使うよう指示されました。食料品や必需品の買い物は許されても、カードの明細は一行ずつ細かくチェックされたと言います。
DVからの避難を語る編集者・エッセイスト藤井セイラ氏の肖像
「たった80円のペンを無断で買っただけで、夫に怒鳴られました。子どもの習い事や洋服、見ても良いテレビ番組まで、全て夫が選んだものだけ。経済的に困窮しているわけではありませんでしたが、私には一切の自由がありませんでした。スマートフォンのGPSで常に居場所を監視されており、外出先で突然夫が現れて驚かされることもありました。」
子どもが生まれてからは、藤井氏の精神状態も悪化し、抗うつ剤が手放せなくなりました。年配の精神科医に相談しても「夫婦なんてそんなものだ」と笑い飛ばされ、DV相談へと繋がることはありませんでした。
「避難する直前の時期には、朝から子どもたちの前で『私のすることは全て失敗します。あなたの言うことを聞いておけば間違いありません』と復唱させられていました。立ったまま残飯を食べさせられたり、家の中で転ばされたり。このような行為が毎日繰り返されると、本当に『自分は無価値な人間だ』と思い込んでしまうのです。」
逃げる決断、そして現在へ
藤井セイラ氏が体験したDVは、身体的暴力に留まらず、精神的、経済的な支配が複合的に行われ、被害者の自尊心を徹底的に破壊するものでした。そこからの避難は、想像を絶する困難を伴います。夫の巧みな「擬態」により見抜くことの難しさ、そして結婚後の態度豹変と支配の始まりは、多くのDV被害者に共通するパターンでもあります。
藤井氏の経験は、DVが家庭という閉鎖空間でいかに巧妙に、そして執拗に行われるかを示しています。特に経済力の喪失が、被害者を逃げられない状況へと追い込む重要な要因となることが浮き彫りになりました。また、専門機関への相談が必ずしも適切な支援に繋がらない現実も示唆しています。
現在もなお離婚調停中で困難な状況にある藤井氏の告白は、DVの現実とそこからの脱却がいかに困難であるかを私たちに訴えかけています。この経験は、同様の状況にある人々にとって、自らの置かれた状況を認識し、支援を求める勇気を持つための貴重な情報源となるでしょう。そして、社会全体がDVへの理解を深め、被害者支援の体制を強化することの重要性を改めて提起しています。
参考文献: