名古屋から“一番近い島”として知られる、愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか?(全2回の1回目/ #2 に続く)
【画像】サメの襲撃に遭い、亡くなった久野久芳さん(当時19歳)の姿
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日間賀島の“知られざる歴史”
高速船は白波を蹴立てて、三河湾をひた走る。10分ほど走ったところでエンジンの回転する音が変わり、やがて船の舳先の向こうに、平べったい島が見えてきた。日間賀島である。
名古屋から名鉄の各駅停車で1時間弱南に下って河和駅で下車。そこから河和港まで10分ほど歩き、高速船に乗り込んだ。オフシーズンの船内に観光客の姿はまばらだが、学校指定のジャージを着た高校生の姿もある。島から船で登下校しているのだろう。
三河湾に浮かぶこの島は、愛知県に3つある有人島(日間賀島・篠島・佐久島)で最も小さく、面積は約0.75平方km、周囲は5.5kmしかないが、その歴史は縄文時代にまで遡る。この島の民は古の時代から漁業のスペシャリスト集団として知られ、この島で獲れた魚介類は〈全国的にも群を抜いて多く〉(日間賀島観光ナビ)、朝廷に献上され、とくに鯛は「御用鯛」と称され将軍家にも納められてきた。
近年ではタコ漁が有名で、「日間賀島のタコ」を目当てに毎年28万人もの観光客が人口1600人ほどのこの島を訪れる。
一方で、日間賀島には“知られざる歴史”もある。今となってはほとんど知る人もいないが、戦前から戦後の一時期にかけてこの島で人がサメに襲われる被害が相次いだのである。
サメ襲撃→死亡事故が続いた
私が日間賀島のことを知ったのは6年ほど前、ふと「日本でサメが人を襲ったケースは実際どれくらいあるのだろうか?」と疑問を持ったことがきっかけだ。早速インターネットで調べてみると、過去に日本で起きたサメの襲撃事故をまとめたサイトが見つかった。
そこで初めて、〈愛知県日間賀島〉という場所で1938年から1950年ごろにかけてサメによる連続襲撃が起こり、少なからぬ死者が出ていることを知った。
それ以来、日間賀島のサメ襲撃事故について自分なりに調べていたのだが、上記サイトの“元ネタ”となった論文をようやく国会図書館で見つけたのが昨年のことだ。
論文の著者は水産学博士の矢野和成。
矢野は日本における“シャークアタック”研究の最前線を走る研究者として、将来を嘱望されていたが、2006年に40代の若さで逝去されたことは後になって知った。論文の執筆当時は、水産庁西海区水産研究所石垣支所の所属になっている。
論文には、〈日本周辺海域で1935年から2002年までの間に起こったサメによる被害状況〉という表が掲載されている。
篠島(しのじま)は日間賀島の南5kmほどの場所にあり、この篠島に隣接している小さな島が野島である。この表を見ると1938年から1950年までの12年の間に、日間賀島から篠島にかけての狭い海域で実に8件のサメによる襲撃が起き、襲われた全員が死亡していることがわかる。これだけ狭い海域でサメの襲撃による死亡事故が続いた事例は、日本では極めて異例であることは言うまでもない。