これから人は100年生きるという。しかし、お金や孤独、健康不安がなく老後を迎えられる人はどれくらいいるだろう。年を取ることが怖いーー。
多くの人が漠然とした不安を抱く中、老後の人生こそ謳歌している人もいる。その元気は、気力は、生きがいは、いったいどのようにして手に入れたのか。
本連載では、“後期高齢者”になってなお輝いている先達に、老後をサバイブするヒントを聞く。
【写真】カッコいい…! 《伝説のマタギ》松橋さんの「20歳の頃」と「現役すぎる今の姿」
■父は「鉄砲撃ちの名人」として鳴らした
春の山菜採りや行楽シーズンが始まり、全国各地で冬眠明けの熊が相次いで目撃されている。餌を求めて活動が活発化しているのだ。
ツキノワグマの目撃情報が例年を大きく上回った秋田県では、5月8日に「ツキノワグマ出没警報」を発令して、県内全域に注意を呼び掛けている。
そして、ここ数年、熊害の対策とともに注目されているのが、伝統的な狩猟方法で熊を追い続けてきた「マタギ」たちである。
秋田県北秋田市の最南部、マタギの里として有名な阿仁地区比立内(ひたちない)に住む松橋吉太郎さん(92歳)は、「伝説のマタギ」として比立内マタギの歴史に名を残す1人だ。
マタギの頭領の座である「シカリ」を30年余りも務め、山と猟の達人マタギ集団を束ねてきた。
「俺の人生の生きがいは熊獲り。熊と勝負して、鉄砲一発で仕留めたときが最高に気持ちいいな」
名マタギは朗らかに笑って、スポーツドリンクをぐびっと飲み干す。
【写真を見る】カッコいい…! 《伝説のマタギ》松橋さんの「20歳の頃」と「現役すぎる今の姿」(8枚)
昭和8年(1933年)生まれ。「9人兄弟の6番めか7番め」と指折り数えても記憶があいまいなところはご愛敬。祖父も父もマタギという一家で育ち、シカリだった父は「鉄砲撃ちの名人」として鳴らした。
小学生の頃から父に「山さ、あべ(行くぞ)」と連れられて、マタギの集団狩猟・巻き狩りの手伝いをしてきたという。
16歳からは営林署の作業員として働きはじめ、25歳のとき、地元の材木会社に転職。仕事に邁進しながら、松橋さんは迷うことなく父の跡を継いでマタギになった。
山の地形や熊の通り道、棲み処から山菜やキノコの採れる場所まで頭の中に叩き込まれている。そこに鉄砲撃ちの技術と経験を積み重ねていき、50歳のとき、比立内マタギのシカリを担う。