この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年、1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第11回となる今回は、1960年代の東京の「高速道路」の写真を紹介する。
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■東京初の高速道路、KK線
先月4月5日20時、都心の新橋(汐留)-銀座-京橋をつなぐ無料の高速道路、KK線(東京高速道路)が廃止となった。
その4月5日には同時に、首都高速道路の八重洲線も長期通行止めとなり、今後、日本橋付近の高速道路の地下化工事が進められる。完成予定は約10年後だそうだ。
日本の戦後高度経済成長と同時に進んだモータリゼーションから50年以上が過ぎ、自動車専用道路として建設された都心の高速道路も老朽化。その再生と更新の時代が訪れている。
【写真13枚】1960年代の東京、高速道路のある風景はこんな感じ。貴重な空撮アナログ写真も紹介
廃止されたKK線は、今後、歩行者用の空間として生まれ変わることが決まっている。ニューヨーク、マンハッタンで、廃線となった高架線路を公園とした「ハイライン」のように、遊歩道、公共空間となり、今年11月に開催される聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック」のマラソンコースにもなる予定だ。今後、KK線の周辺で再開発されるビルともつながり、この地区の空中回廊としての役割も果たしていくようになるらしい。
■東京初の高速道路だった
このKK線の建設工事が始まったのは、1953(昭和28)年のこと。戦後復興の意味もあり、銀座地区を取り囲む形で、汐留川、外堀、京橋川の一部を埋め立ててビル状の高速道路を建設するというプロジェクトとして計画された。
1959年には土橋(新橋駅付近)-城辺橋(外堀通り沿いの銀座一丁目)間を一方通行で供用開始し、66年に蓬莱橋(汐留付近)-新京橋(京橋付近)の全長約2キロが開通。64年には首都高速羽田方面と、73年には首都高速道路の八重洲線とも接続した。