なぜ、愛子内親王の天皇即位が望まれているのか。『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)を上梓した島田裕巳さんは「男系男子での皇位継承を強く主張する保守派は、天皇の『資質』についての考察がまったくない」という――。
【写真】2024年5月27日、襲名発表の記者会見を終えた歌舞伎界の名門一家
■皇室と伝統芸能の「家」の共通点
皇室に生まれるということと、伝統芸能の家に生まれるということの間には共通点がある。
一つには、「家」を継承していかなければならない重い責任が生じるということである。
皇室に生まれても、女性であれば、将来結婚し、皇室を離れる可能性はある。だが、まだ結婚していない間は、皇族としての務め、公務を果たさなければならない。
伝統芸能の家の場合も、特に重要な家に生まれれば、周囲から継承することを期待される。ここでは話を歌舞伎に限るが、宗家とされる市川團十郎家や、「團菊(だんぎく)」ということで対比される尾上菊五郎家に男子として生まれれば、将来團十郎や菊五郎を継ぐことを、赤ん坊の段階からどうしても期待される。
もう一つの共通点は、どちらも「見られる」存在であるということである。
歌舞伎なら舞台に上がるわけだから当然だが、皇室の場合も、戦後、「開かれた皇室」ということが言われるようになり、国民の前に姿を現す機会が飛躍的に増えた。姿を現すだけではなく、時に「おことば」を発しなければならない。
愛子内親王も5月3日、災害医療に関する国際学会の開会式に出席し、参加した各国の研究者らを前にして、初めてあいさつをしている。その後には、大阪万国博の会場を2日にわたって訪れているが、そこでも注視の的だった。
■歌舞伎界名門の襲名披露
その5月は、歌舞伎界にとって重要なものとなった。歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」で、八代目尾上菊五郎と六代目尾上菊之助の襲名披露興行が営まれたからである。
團菊という呼ばれ方をするようになったのは、明治時代の名優、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎のときからである。九代目團十郎は、歌舞伎の近代化に尽力し、「劇聖(げきせい)」と呼ばれた。五代目菊五郎は、江戸庶民の生活を描いた世話物を得意とした。
皇室の歴史に比べれば、歌舞伎の歴史は浅い。江戸時代の初めからだから、400年を超える程度である。ただ、明治以降、西洋から近代演劇が取り入れられ、それが「新劇」と呼ばれたのに対して、一時は「旧劇」として過去のもののような扱いをされたことがあった。
それでも、歌舞伎は生き延び、今日でも歌舞伎座のような大劇場をいっぱいにできるだけの集客力を誇っている。そこに至る上で、團菊の果たした役割はあまりに大きい。
したがって、團十郎や菊五郎を継ぐことは、恐ろしくプレッシャーのかかることである。
しかも、それぞれの家に生まれたからといって、必ず襲名できるわけではない。