田中圭が東出昌大のように「復活」するのが難しい理由 「求められるのは、謝罪よりも物語」


【写真】二人が出会ったきっかけと報じられた映画「そして、バトンは渡された」 映画賞授賞式での貴重なツーショット

 ***

 この報道に接し、多くの人がふと東出昌大の名前を思い浮かべたのではないだろうか。どちらも好感度俳優として多くの支持を集めていたが、年下女性との関係を報じられたことでイメージは一変した。記者会見で、妻と不倫相手とどちらが好きかを問われた東出さんが「妻を傷つけることになるのでお答えできません」と答えた対応のまずさも批判の的となった。

 しかし、その後の東出さんを見る限り、「スキャンダルの後に道はない」と一概には言えない。むしろ今では、ちょっとした憧れをもって眺められているような気さえするのである。

田中圭と東出昌大の共通点と違い 業界きっての嫌われ者から憎めない男に変わった東出の「戦略」

 そしてスキャンダルに際しての対応は、どちらも爽やかとは言い難かった。東出さんは「妻と愛人のどちらが好きか」に「答えられない」と言葉を濁したことで反感を買ったが、田中さんもはっきりとした釈明や謝罪のコメントを出していない。初期対応の失敗を恐れる事務所が待ったをかけたのだろうが、かえって「逃げている」というネガティブな印象を強めてしまうだろう。

 しかし東出さんと田中さんの対応には明確な違いもある。東出さんは芸能活動をセーブし、事務所との契約も解除に。そして山の男として狩猟生活を始めたり、地方公演の舞台に立ったりと、あえて「中央の華やかさ」から距離を置く生き方を選んだ。見た目もワイルドになり、インタビューでも都会生活やメディアに対して突き放したような言葉が並ぶ。ただその「落ちぶれ方」が逆に「人間らしい」と一定の共感を呼んでいる。

 スキャンダルで逆境に陥ったタレント、政治家、スポーツ選手は、「皆さんを失望させてしまった分、仕事で結果を出すことで返していきたい」という言葉をよく使う。東出さんだって本来ならば、俳優活動を地道に続けることで好感度回復を図っていきたかったことだろう。けれども度重なる不祥事によって嫌われきった結果、仕事ではなく素顔をさらけ出すことしかできなかったのではないか。ただその結果、女性にだらしないところやかっこつけたことを言いがちな「ダメさ」が、一周回って「憎めなさ」に変わってきたのではないかと思うのである。



Source link