最高月収2800万円「着ボイスやCDなどの印税がすごかった」波田陽区 ブレイク当時の舞台裏「実は今でも入金が」


【写真】「今と雰囲気違う」大学生の波田陽区さん ほか(全13枚)

── 芸人を志したきっかけを教えてください。

波田さん:小さいときから目立ちたがり屋ではありました。小学校のときは学級委員をやってましたし、中・高生のときは生徒会に入ってました。当時からワーキャー言われたい願望があったんです(笑)。小学校のときに『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が流行っていて、たけしさんやさんまさんに夢中になって。中高生のころはダウンタウンさんに夢中でしたね。それで高校生のときに親に「卒業したらお笑い芸人になる」と言っていたんですよ。

── 上京後はどう過ごしていたのですか?

波田さん:毎日、ほぼお笑いのことしか考えてなかったです。「売れたい」しか考えていなかったので、深夜のファミリーマートでバイトして、日中は「お笑いの仕事につながらないかな」と、オーディションを受けたりライブに出たり。まあ29歳まで仕事はいっさい来なかったですけど(笑)。

波田さん:「お前、才能ないんだから、30歳になったら人生考えろ」と親父からもともと言われてたんですよ。僕も20代後半には自分に才能ないことを薄々…というかだいぶ気づいていて。上京してからいろんなお笑い芸人に出会って「僕よりおもしろい人いっぱいいるな」と凹んでいたんです。今は40~50歳まで芸人を続ける人もいますが、当時は30歳ぐらいで辞めて別の職に就く人が多かった。仲がよかった芸人仲間も、やめて板前になったり、ラーメン屋になったり。それで僕も「来年は30歳か。親父が言う通り、いろいろ考えなきゃな」と思っていたんですよね。



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