【よみがえるトキワ荘】「聖地」の模索(2)いつも開いていた玄関

[ad_1]



サイン会でファンと交流する水野英子さん=平成30年12月8日、豊島区南長崎

サイン会でファンと交流する水野英子さん=平成30年12月8日、豊島区南長崎

 「私はやはり元通りの復元をお願いしたいので、階段のそばにエレベーターを設置するという案がありましたが、どうしても必要なのであれば裏階段のあたりのスペースを利用できないかと…」(会議録から)

 平成28年12月13日に開かれた「トキワ荘マンガミュージアム」の第4回整備検討会議。発言の主は、少女漫画の草分けとして知られる水野英子さん(80)だ。当初示された案には、2階の漫画家たちの部屋へ続く広い木の階段の横に、エレベーターが付いていた。別の委員からは「もっと新しい感じの施設にして、トキワ荘についてはミニチュアを作ればいい」という意見もあった。こうした方向性に反対し、「元通り」を強く主張したのが水野さんだった。

 「本当に私、施設ができたら自分の机に座って、窓を開けたい気持ちです」

 今月取材した水野さんは、そう期待を語って、いたずらっぽく笑った。トキワ荘に住んでいたのは昭和33年、18歳の頃。石森(後の石ノ森)章太郎、赤塚不二夫と3人で「Uマイア」のペンネームを作り、合作に打ち込んでいた。

 「いつも開けっぱなしにして、明るかった」という部屋の窓。玄関の扉も「いつも開いていた」という。「夏でも冬でも、誰でもウエルカムという感じで、いろんな人たちが遊びに来ていて楽しく過ごしました。みんな二十歳(はたち)前後で、何をやっても面白かった。そういう雰囲気が培ったものが、漫画の自由な発想にもつながっています。そこがトキワ荘の一番大事なところだったと思います」

 平成29年1月17日の第5回検討会議では、水野さんの要望を受け、外観を忠実に再現するかどうかについて委員の意向が挙手で確認された。賛成は10人、反対は3人。忠実さを目指した背景には、元住人たちの思い入れにとどまらない事情もあった。出席者の一人は「トキワ荘の部屋の再現展示は、石ノ森先生らの個別の記念館でも行われている。こちらは建物そのものの忠実な再現を目玉にするしかない」と話す。

 その後に重ねられた検討で、エレベーターの場所は階段そばから建物の奥へ移った。玄関の扉は常時開放された上で、ミュージアムとしての気密性を確保するため、自動ドアが内側に設けられることになった。同じ理由で、部屋の窓ははめ殺しになった。来年3月、水野さんが窓を開くことはできないが、それでもサッシと壁の間を使って外の景色が見えるような演出が行われ、かつての住人の体験を今に伝える工夫が施される。

[ad_2]

Source link