「バスが数分遅れた」「わがまま過ぎる」 なぜネット民は“障害者”を執拗に叩くのか? 合理的配慮が“被害者意識”にすり替わる根本理由! 三島由紀夫の言説から考える


6万いいねが照らす社会的分断

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 三島は、戦後日本を代表する作家・劇作家・評論家である。繊細な文体と強い美意識を持ち、多くの文学作品を発表した。代表作に『仮面の告白』『金閣寺』『豊饒の海』などがある。これらの作品によって、国内外で高い評価を得た。

 一方で、戦後民主主義への批判や、伝統的な価値観への回帰を強く訴えた。言論だけでなく、身体を通じた実践にも踏み込んだ。1970年には自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデター未遂事件を起こし、その直後に自決した。以後、その思想と行動は、文学・政治・哲学の領域で多面的に論じられ続けている。

 今回の「弱い者をいじめるべし」という一文だけを見ると、暴論にしか思えない。しかし文脈を追うと、三島が批判しているのは真の弱者ではない。弱さを演出し、それを使って他人を支配しようとする人間こそが標的だった。

 この再評価の流れを見て、筆者(伊綾英生、ライター)の脳裏に浮かんだのは、近年、路線バスや鉄道の現場で繰り返される構図だった。健常者が

「障がい者はわがままだ」

と批判する、あの構図である。

逆差別感情が生む誤解

「車いすの乗車補助でバスが数分遅れた」
「駅員が手間を取られ、しかもクレームまで受けた」

といったような投稿が定期的に拡散されている。数千件の共感が集まるケースも少なくない。

「なぜあの人だけ特別扱いされるのか」
「自分は我慢しているのに」

といった声の背景には、“逆差別”を感じている層の存在がある。「障がい者様」なる酷い揶揄もある。

 しかし、こうした遅れやクレームの原因は障がい者自身ではない。もともと公共交通のインフラが、「すべての人が使える」設計になっていないからにすぎない。

 とくに通勤ラッシュのような過密状態では、この設計の不備が個々の補助行為にしわ寄せされる。「あの人のせいで遅れた」という構図ができあがる。

 つまり、本来はシステムの未整備に向けられるべき不満が、「配慮を受ける側」にぶつけられるという不条理が起きている。



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