トヨタ自動車の豊田章男会長が掲げるスローガン「もっといいクルマをつくろう」。この言葉の背後には、単なる技術革新を超えた、より深い「人づくり」の哲学が息づいています。ノンフィクション作家の野地秩嘉氏による取材に基づき、その真髄を垣間見ることができるのが、トヨタ工業学園における教育現場と卒業式での会長の言葉です。この記事では、トヨタが世界に誇る「ものづくり」を支える人材育成の核となる、同工業学園の独自の取り組みと、そこで育まれる人と人の絆、そして豊田章男会長の熱い思いに迫ります。
卒業式で見た指導員の「先生」への変化:成長の場としての工業学園
2025年2月、筆者はトヨタ工業学園の卒業式に5度目の出席を果たしました。コロナ禍を経て、この教育の場がどのように進化してきたかを観察する中で、特に目を引いたのは、生徒たちを導く指導員たちの姿でした。彼らは皆、トヨタ自動車の現役社員であり、ある日突然「明日から工業学園で指導員を務めてほしい」と依頼された人々です。かつて取材を始めたばかりの頃、朝礼で生徒たちと共に腕立て伏せをしていた若き指導員がいました。その当時はまだ「社員」の顔つきが色濃く残っていましたが、時を経て卒業式で再会した彼の顔には、生徒たちへの深い愛情と責任感が刻まれた「先生」の表情がありました。
彼は卒業する教え子一人ひとりの名前を力強く呼び上げ、クラス全員の名前を呼び終えた後には、その目に涙が浮かんでいました。それはまさに、ベテランの先生へと成長を遂げた証しに他なりません。トヨタ工業学園は、生徒が技術と人間性を磨く場であると同時に、指導員である社員たちもまた、教育者として、人間として大きく成長する貴重な機会を提供しているのです。この学園は、単なる技術伝承の場ではなく、人と人が共に育ち合う「成長の場」として機能しています。
2024年2月20日、トヨタ工業学園の卒業式で祝辞を述べるトヨタ自動車の豊田章男会長。愛知県豊田市にて。
豊田章男会長の「トヨタの子」への深いメッセージと約束
トヨタ自動車の豊田章男会長は、毎年欠かさずトヨタ工業学園の卒業式に列席し、祝辞を述べています。その祝辞の中で、会長は吉川英梨氏の小説『トヨタの子』に触れ、卒業生たちに深いメッセージを贈りました。「人としての優しさと独自の技で、日本の未来をつくる、『トヨタの子』であり続けてください。そして、私にとっては、ここにいる卒業生全員がトヨタの子です。ずっとサポートします」と語った会長の言葉は、卒業生たちにとって計り知れない喜びとなりました。
この言葉は、単なる励ましを超え、「君たちを心から愛している」という深い愛情表現に他なりません。豊田会長は、一度交わした約束を必ず守る人物として知られており、この言葉もまた、彼らの将来に対する揺るぎない支援の約束と受け止められました。式典後、筆者は工業学園の卒業生であり、現在はトヨタの専務・副社長を務める河合満氏と立ち話をする機会を得ました。河合氏は、卒業生たちの成長を感慨深げに「みんな、成長したな」と呟き、その言葉は、学園が育む人材育成の確かな成果を物語っていました。この「人づくり」こそが、トヨタの企業理念の根幹であり、未来を創造する力となっているのです。
豊田会長の「人づくり」哲学が紡ぐトヨタの未来
トヨタ自動車が追求する「もっといいクルマ」の創造は、最新技術や革新的なデザインだけで実現するものではありません。その根底には、トヨタ工業学園で実践されるような、人を大切にし、共に成長を促す「人づくり」の哲学が不可欠です。豊田章男会長の卒業生への温かいメッセージや、指導員の献身的な姿勢、そして学園出身の幹部が示す共感は、トヨタが単なる自動車メーカーではなく、人と社会の未来を豊かにする企業であることを強く示唆しています。
「トヨタの子」として育まれた若き才能たちは、人間的な優しさと独自の技術力を兼ね備え、日本のものづくり、ひいては世界の発展に貢献していくでしょう。トヨタ工業学園は、技能の伝承だけでなく、人間性の涵養を通じて、変化の激しい時代においても柔軟に対応し、持続的に価値を創造できる人材を育成する、他に類を見ない教育機関なのです。豊田会長のリーダーシップのもと、この「人づくり」の文化が、これからも「もっといいクルマ」を生み出し続ける原動力となることは間違いありません。
情報源: 本稿は、ノンフィクション作家 野地秩嘉氏の著書『豊田章男が一番大事にする「トヨタの人づくり」 トヨタ工業学園の全貌』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。