一世を風靡した「ギター侍」から一転、仕事が激減し、自信を失っていた芸人・波田陽区さん。家族を養えない焦りの中で、妻からふとこぼれた「熟女クラブで働こうかな」のひと言。どん底の日々を支えたのは、あるきっかけから交流が始まった、間寛平さんとの温かな絆でした。(全4回中の3回)
■妻とは10年間遠距離恋愛「お金貯め東京に会いに来てくれて」
── 2004年にギター侍でブレイク後、翌年から仕事が一気に減ったことで、精神的に追い詰められた時期があったそうですね。
波田さん:今から10年前に福岡に引っ越したんですけど、福岡に引っ越す3年ほど前までは本当に腐りかけていましたね。呼んでもらえていた『クイズ!ヘキサゴン!』も終わり、一発屋の仕事がたまに入るくらいで。事務所のおかげでたまに営業に行かせていただくだけで、週に4、5日休みなことも全然ありましたから。家には奥さんがいるし、子どももまだ小さいし、行き場がなかったですね。家にいるのは恥ずかしいし。
── 奥さんとは大学の同級生だったとか。
波田さん:そうですね。初めて会ったのは20歳のときなので、今年で出会って30年になります。大学卒業後、彼女は熊本で保育士に、僕は上京して芸人になったんです。その後、10年は東京と熊本の遠距離恋愛でした。彼女はさんざん、友人や親せきから「あいつとは別れたほうがいい」と言われたらしいです。だって僕、29歳からテレビに出したんですけど、それまで何の音沙汰もないわけじゃないですか。僕も2回ぐらい「もうお別れしたほうがいいんじゃないでしょうか」って打診はしたことはあったんですけどね。
── 東京と熊本の遠距離恋愛は、なかなか大変そうです。
波田さん:彼女は大変だったと思います。僕はお金がないので熊本に会いに行くことはなくて、奥さんが貯めたお金で年に2、3回東京に来てくれていました。僕の反省ですけど、バイトしたお金を貯めておけば、僕も熊本に行けたはずなんですよ。でもそれも全部、芸人仲間と飲むお金に使ってました。けしからんですよね。言い訳ですけど、僕たちの時代、芸人はそういうのがカッコいいだろ、みたいなムードだったんです。合コンして、酒飲んで、ギャンブルする、みたいな。今じゃ許されないですよね。だから、申し訳ないけど、奥さんが二の次になっていたんです。