齢100を超えた作家の佐藤愛子氏。何度も断筆宣言も行っているが、そんな彼女はどんな毎日を送っているのか。101歳の日常に迫る。※本稿は、佐藤愛子『老いはヤケクソ』(リベラル社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 食事を気にしたことはない 101歳小説家の食事事情
100歳にもなると、健康の秘訣はなんですかと聞かれることもありますが、そんなものは意識していません。私はとにかく面倒くさがりなんですよ。食事なんてのはそこら辺にあるもので構わない。戦争の時代はそうでなければ生きられなかった。いい加減なものを食べて生きてきました。
もう最近はあんまり食欲がありません。そもそも、100歳になってもりもり食べるなんてことはないでしょう。
ああ、言われてみれば、お肉は好きですね。とくに牛肉が好きっていうことでもなくて、お魚は白身がいいとか、その程度です。何が好きっていうのもないんですよ、もう。だから、何が体にいいとか、そういうのは気にしません。
一時ね、何を食べると体にいいって健康ブームがありましたけど、あんな面倒くさいことは気にしたことないですね。
毎日同じご飯でもかまわないみたいなところはあります。やっぱり戦争中に鍛えられましたからね。食べるものにいろいろ注文をつけられる時代じゃなかったですから。
朝食は娘や孫が用意してくれます。だいたいいつも朝起きて新聞を読んでいると、食事を持ってきてくれるという感じです。孫はいつも、必ずオムレツと、ツナマヨのサンドイッチ、あと豆のスープを出すと決まっている。毎朝決まって同じです。きょうはこれを食べたいとか、あれを食べたいとか、こだわりが全然ないんです。毎日同じご飯でもかまわないんですよ。
本の中では、お昼には毎日のようにうどんを食べていますね。面倒くさいんです。そのころは忙しくてね。とにかく私の40代、50代、60代っていうのは、何を食べるとか、何かを食べたいというふうに思う暇がないくらい仕事が忙しくて。次から次へ書かなきゃならない日常だったもんですから。
家政婦さんが「はい、お昼は何にしますか」って聞きに来るでしょ。それを考えるよりも、私は今書いてる原稿の仕事のほうが大事だから「うどん」って言っちゃうんですよ。他に考える時間がもったいないですから。うどんぐらいならさっとできるでしょう。
家政婦さんの料理の腕を見込んでいると、お昼はうどんとかラーメンとか麺類になってしまう。いまは食欲が落ちて、食事は朝昼兼帯になりましたね。
● 朝のスタートは新聞から 毎朝読んではいるけれど
何時に起きなきゃいけないっていうのもないのでね。それでもやっぱり決まった時間に目が覚めてしまいますね。時々寝坊すると孫に起こされたりします。
朝は新聞から始まります。いまは『朝日新聞』と『産経新聞』をとっています。朝起きてリビングに行くと、テーブルに2紙がぽんと置いてある。娘か孫か、新聞だけは取りに行ってくれてるみたいです。
もう頭も相当悪くなってますからね。新聞だって、どんな読み方をしているかわかんないですよ。読んでいる当人が読んだ気になっているだけのことかもしれません。文章を目で追って、端まできたらめくる。それの繰り返しです。
そう丁寧に読むわけじゃないけど、見出しから見ます。なんだか新聞もつまんなくなりましたね。新聞が悪いんじゃなくて、世の中がつまんなくなっているんでしょうね。いろんなニュースが面白くないのか、私の記憶力の問題なのかはわかりませんけど。些細なことはみんな忘れちゃうんですよ。
最近気になった記事ですか?読者の人生相談のようなコラムには目が留まりますかね。
本は読まなくなりました。家に『女性セブン』とか『週刊文春』が届くので、それだけは見ています。もう目が悪くなっている。小さい活字とか、印刷の具合とかで、読んでるとすぐ疲れてしまう。
(大活字本を指して)こういうふうに大きな文字で本を出してくれると、まあまあ読める。読者の対象年齢を考えたら、大きくて太い字がいいですね。