「母親を殺しました」と出頭「17歳少年」のバッグに入っていたのは…会津若松“実母惨殺事件” 記録が廃棄された犯行の詳細


【写真を見る】実母を殺めた少年、そして被害者となった母親の素顔

 あまりの衝撃に、発生当時、事件は連日大きく報道された。しかし、犯人は17歳の少年だ。少年法の壁に阻まれ、報道は犯行の核心部分には至らないまま。そして翌年、少年の医療少年院への送致が決まると報道は途絶えた。そして15年後の2022年には、福島家裁が事件の記録をすべて廃棄していたことが判明。犯行記録の詳細は、闇に消えてしまったのだ。

 少年はなぜ、誕生日に実母の首を切ったのか。そしてなぜ母は、我が子に残虐な仕方で殺められなければならなかったのか。事件発生当時、「週刊新潮」では、少年の周辺に取材し、その人物像を探っている。その後の報道も合わせ、狂気の原点を探ってみよう。
【前後編の前編】

(「週刊新潮」2007年5月24日号記事の再録です。文中の年齢、役職、年代表記等は当時のものです)

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冷静に、淡々と

 福島県会津若松市の県警会津若松署受付に、若い男が自首してきたのは、午前6時58分。

 男は、県内の有名進学校に在学中の高校3年生(17)。手には布製の黒いショルダーバッグ。応対した当直の警官に差し出されたそのバッグには、どす黒い液体のシミが広がっていた。

 そのバッグに入っていたのが、母親の頭部だったのである。

「本人は取り乱すこともなく、むしろ冷静に、淡々と話していたそうです」

 と、取材にあたった社会部記者がこう言う。

「さらに、自宅アパートで寝ている母親を殺したと言ったため、警察官が慌てて駆けつけると、6畳くらいの和室に敷かれた布団の上に、首のない遺体が俯せで寝かされ、布団がかけられていたのです。遺体の傍らにはナイフのような刃物が転がっており、押収されています」

 死因は頸動脈切断による失血死だった。



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