〈「昭和天皇に裏切られた」人々が引きずり続けた喪失とは?〉 から続く
戦後を代表する批評家・江藤淳と加藤典洋ーー。その歩みを通じて日本人の精神史を探った與那覇潤さんの新著『 江藤淳と加藤典洋 戦後史をあるき直す 』から、「あとがき」を全文公開する(全3回の第2回/ 最初から読む )
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青春と壮年
戦後史を生きた人びとはけっして、体制に埋もれることで歴史を葬ったのではなかった。時として眼前の社会に挑もうとするあまり、若さゆえの性急な過去の切り捨てがあったとしても。
〈 自分の青春と時代の青春が重なったのは芸術家として非常に幸せだった。高見順は「作家は時代と一緒に寝なきゃいかん」といったけれども、こっちにも精力があって、一緒に寝られたんですよ〔2〕。〉
先日鬼籍に入った石原慎太郎は、かくして自身や江藤淳のデビューした1950年代半ばを、「その時期はやっぱり戦後日本の青春のはじまりだった」と懐古している。変わらぬマッチョな比喩には苦笑するが、自分もまた生まれた世代に恵まれただけだと、珍しくみずからを限界づける発言にも聞こえる。
江藤や石原が当初はデモの側に立った60年安保の季節には、アメリカへの従属を拒絶し自立した民主主義を営む「強い父」へとたどり着くことが、青春の果てに到達する成熟のモデルに見えた。だがそれはどうも無理らしいとする直感が、戦後批評の系譜をつくり、高度成長が終わるやむしろ変わらぬ「母性社会」の方を、日本に見出す視点が優勢となる。
凡庸な父性への回帰
しかし男女の二分法に基づく平板な型に、自国のすべてを押し込めて「わかったつもり」になる論法への違和もまた、時をおかず語られ始めていた。
〈 知識人たちは国家を背負って勝手に家長になりたがる。不機嫌な家長になったり闘う家長になったりするわけでしょう。
だけど、世代体験としてはかなり普遍的にそういうものに批判的な人たちはいたんですね。そういう人々がやはり、父になっていくのですね。いつのまにか社会化された〈私〉というのを引き受けていて、それは別に名のある江藤、西部〔邁〕というふうな人々だけではなくて、あらゆる男たちの間で起きている回心なんですね〔3〕。〉
1986年5月、雑誌『國文學』にふたりの「全共闘世代」の対談が載った。同じ48年生まれの加藤典洋にむけて、上野千鶴子はこう問うている。70年安保の際、あれだけみなが既存の家族の自明性を疑ったにもかかわらず、気がつけば物書きを筆頭にして、昔ながらの父や母のイメージに還ってゆく人ばかりなのはどうしてか、と。