著述家・勢古浩爾氏が喜寿(77歳)を迎えた。これまで、さまざまな小説、漫画、映画に触れ、往年の名作を懐かしみつつも「現在の勝ち」と感じたコンテンツとは?※本稿は、勢古浩爾『77歳、喜寿のリアル:やっぱり昔は良かった!?』(草思社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 司馬遼太郎『街道をゆく』は 全巻手元に置いておきたい
現在、わたしの読書の中心は司馬遼太郎の『街道をゆく』である。ここ何年間か読みつづけている。全43冊ある。
現在読んでいるのは『街道をゆく8 熊野・古座街道、種子島みちほか』である。しかしこれだけを読んでいるわけではない。
ミステリーやほかのエッセイ集などは、ほとんど図書館で借りるから、そちらを優先しなければならない。
それらが一段落すると、やっと『街道』に戻ってゆくことができるのである。そして戻ってゆくたびに、かならず司馬の博学に驚かされるのだ。
『街道をゆく8』に戻って、「九州には、ムレ(牟礼)という地名が多い」という文章にさしかかったときである。
いきなり『街道』のおもしろさに包まれる。
由布院から日田へ向かう途中の玖珠盆地で、司馬はこの辺りにツノムレ城の遺跡があるはずだが、と思いいたる。ツノムレは角埋または角牟礼と書く。
そこで、大分県でムレのつく城跡は、玖珠盆地のツノムレ城のほかに、国東半島の於兎牟礼(おとむれ)城、竹田市の西北にある騎牟礼(きむれ)城、おなじく竹田市の矢原にある津賀牟礼(つがむれ)城、または佐伯市の西郊にある栂牟礼(とがむれ)城などがある、と例を挙げるのである。
そこまで予備作業をしたうえで、司馬は「ムレ」という言葉は朝鮮半島伝来の言葉と推測するが、「念のため」に『時代別国語大辞典・上代編』(三省堂)を引くのである。そして文献例を挙げ、その辞典でふれられている『八雲御抄(やくもみしょう)』という「十三世紀初頭の歌学の手引書」にまで言及するのである。
そこまで来て、司馬はタクシー運転手や鈑金屋さんやタバコ屋のおばさんなどに聞き、歩き回って、ついに「鬱蒼とした杉木立」の先に城跡を発見するのである。
これが司馬遼太郎の『街道をゆく』の尽きせぬ魅力である。
「ムレ」という語から、連想し、記憶を探り、一々資料文献を繙(ひもと)いて、確かめる。こちらはその都度、司馬に引き回される快感を覚えるのである。
こればかりは全43巻買わずにはいられなかった。晶文社の『吉本隆明全集』は不要だが、『街道をゆく』は全巻、手元に置いておきたいのだ。
『街道をゆく8』には、「豊後・日田街道」の項目がある。
わたしの故郷、大分県である。ただわたしが馴染みの竹田は範囲に入っておらず、北の由布院、日田が主である。
まあそれでもいい。それでもいい、じゃない。どこであれ、おもしろいのだ。
● 詩人・吉本隆明の著作から 心が離れてしまった理由
吉本隆明が2012年(平成24年)に亡くなってから(87歳)、わたしは急速に吉本の著作から離れた。
まるで読む気がなくなってしまったのだ。なぜだったかはわからない。わたしは生きている吉本が好きだったのかもしれない。なんだそれ?
吉本さん、やっぱり死んじゃだめだよ、という想いがあった。
昨年(2024年)は吉本隆明の生誕100年だったようである。
7月に岩波文庫から『吉本隆明詩集』が発売された。帯には「吉本隆明生誕100年」とある。
こんな本が出ていることさえ知らなかった。興味がなくなっていることのひとつの証左である。
発売から1カ月以上たってからなにかの拍子に、このことを知った。その瞬間、この本は今後、つねに必携すべき本になると直感した。
吉本隆明の詩集は講談社文芸文庫などからも出ている。