15歳で三愛水着イメージガールとして芸能界入りした宮原華音。空手では全国優勝を果たしながらも、度重なる怪我で進路に悩み、思いがけず飛び込んだアクションの世界。「演技だけは絶対にやりたくなかった」と語る彼女が、気づけば主演映画に抜擢され、今ではアクションを武器に舞台・映像で存在感を放つ女優となった。『仮面ライダーアマゾンズ』での注目を経て、『仮面ライダーガッチャード』では子どもたちの記憶に残る悪役を演じきった彼女の“戦いの軌跡”に迫る。(前後編の前編)。
【写真】打点の高いハイキックを披露してくれた宮原華音、ほか撮り下ろしカット【7点】
――まず芸能界デビューの頃の話をお聞かせください。
宮原 三愛水着イメージガールに就任したのは15歳、中学3年生の冬でした。
――元々芸能界に興味があったんですか?
宮原 実は、綺麗な洋服を着たいとか、自分の見た目に自信があったわけではなく、むしろずっと身長が高いことでからかわれていました。ですが、親戚や近所の人から「華音ちゃんは身長が高いからモデルさんになれるかもね」と言われることもあったので、からかってきた子たちを見返せるならと思ったんです。
――その時、強い意志があったわけではないんですね。
宮原 一人っ子だったので、喧嘩をしたこともなく、かなり言いなりになるタイプでした。両親が心配して、護身術として空手を始めることになりました。始めた当初は、負けてすぐに泣くくらいメンタルが弱かったんです。
――その後、三愛のイメージガールとして活動を始めましたが、その時期はどんなものでしたか?
宮原 三愛さんのメインビジュアルやショーに出演しましたが、ちょうど進路を考える時期で。空手の強豪校に進学する予定だったので、芸能活動と進学でかなり悩みました。事務所と学校に相談して、進学したんですが、1年で退学を決めました。
――なぜ退学を決めたのでしょう。
宮原 怪我が多くて、空手部の活動にほとんど参加できない時期に本格的なアクション練習のお話をいただいたんです。体育コースでは部活が必須でしたが、空手以外にやりたい部活もなかったので、家族と話し合いの末に退学を決意しました。
――その決断を下すのは簡単ではなかったのでは?
宮原 正直、インターハイ優勝しか見えていなかったので、かなり悩みました。でも怪我で思うように動けず、練習に参加できなかったり、レギュラーから外れたりすることが続いていました。新しい道に進んでもいいかなと思えるようになったんです。そして、空手を活かせるアクションに挑戦することを決めました。
――最初からアクション女優を目指していたのですか?
宮原 全然違います。むしろ、演技なんて絶対にしたくないと思っていました。学芸会すら嫌だったくらいです。でもアクションの練習に誘われて、気づけば主演映画が決まり、アクションをやっているうちに女優にならざるを得なくなったという感じです(笑)。