一本の何気ないショートメールが、日本の政治風景を一変させる歴史的な連立協議の引き金となった。26年間続いた自公連立政権から公明党が正式に離脱を表明する緊迫した時期、日本維新の会の遠藤敬国対委員長(57)が高市早苗自民党総裁(64)に送った労いのメッセージが、予期せぬ展開を招いたのだ。当時、「公明党は『政治とカネ』の問題に真剣に怒り、本気で離脱する」という情報が飛び交う中、自民党総裁就任直後の高市氏の難局を案じた遠藤氏の心遣いが、新たな政権の形を模索するきっかけとなった。
わずか30分後、遠藤氏の携帯電話に着信があった。高市氏は関西弁で「いろいろ大変やねん。一緒にやれへん?」と語りかけたという。政策研究を第一とし、酒席を好まないイメージのある高市氏だが、格式張らず誰とでも打ち解ける遠藤氏とは、7年前の議員運営委員会を通じて「遠(えん)ちゃん」「サナエちゃん」と呼び合う親しい関係だった。この個人的な信頼関係が、混迷を極める政局において大きな役割を果たすことになる。
遠藤敬氏の「交渉人」としての手腕
遠藤氏は、大阪18区選出の衆院当選5回を誇りながらも、永田町では「交渉人」「人たらし」として名を馳せている。赤坂宿舎で定期的に開催されるたこ焼きパーティーには、霞ヶ関の官僚から自民党の森山裕前幹事長(80)、菅義偉元総理(76)といった大物政治家までが集い、幅広い人脈を築いてきた。野党国対委員長として与野党の垣根を越え、多くの議員から一目置かれる存在である。この強固な人脈こそが、非常時に自民党と維新を結びつける鍵となった。
 首相官邸で笑顔を見せる高市早苗氏と日本維新の会の遠藤敬氏。歴史的連立合意の瞬間を象徴する一枚。
首相官邸で笑顔を見せる高市早苗氏と日本維新の会の遠藤敬氏。歴史的連立合意の瞬間を象徴する一枚。
連立交渉への道筋:高市氏の誤算と維新の「小泉シフト」
公明党の連立離脱が水面下で進む中、高市氏は土壇場まで「最後は公明党が折れる」と楽観視していた節があった。当初は自公政権に維新を加えて安定を図る構想だったようだが、公明党が離脱を決め、期待していた国民民主党からも距離を置かれるという誤算が生じた。これにより、首班指名選挙で高市氏が総理大臣になれるか不確定な状況にまで陥っていた。
一方、維新の会もまた、総裁選の前まで「小泉政権誕生」に期待を寄せていた。吉村洋文代表(50)は大阪万博会場で小泉進次郎防衛相(44)を「改革派」と持ち上げ、その裏では進次郎氏の後見役である菅氏と遠藤氏が国会図書館で密談するなど、「小泉シフト」に注力していた。しかし、両党ともに思惑と異なる結果が出た際に、与野党に幅広い人脈を持つ遠藤氏の存在が決定的な役割を果たすこととなる。
トップ会談実現へ:吉村代表と高市総裁の対話
遠藤氏は、「野党国対として人脈を広げ、予想外の事態に備えるのは当然のこと。政策を進めることが目的であり、個人的な好き嫌いで判断はしない」と語る。彼は、前回の総裁選に出馬した9人中、石破茂元総理(68)以外の8人とは会食を重ね、携帯番号も知る間柄だ。自民党総裁が交代したばかりのこの時期、最も重要なのはトップ同士の対話だと判断した遠藤氏は、吉村代表と高市氏の携帯番号を互いに伝え、大阪万博の閉幕日である10月13日に電話会談を実現させた。多忙を極める吉村氏のために確保された40分の会談は、両党の未来を切り開く重要な一歩となった。
電話会談後、遠藤氏が両者に確認したところ、吉村代表は「いけると思います」と前向きな姿勢を示し、高市総裁も「お気持ちはよくわかりました。一緒にやりましょう」と応え、両者の間で良好な「ケミストリー」が生まれたという。トップが連立への覚悟を決めたことを受け、遠藤氏は「舞台まわしはします。アクセルを踏みます」と全面的な協力を表明した。
政策合意の焦点:維新の要求と高市氏の決断力
10月14日には、遠藤氏は梶山弘志国対委員長(70)と会談し、自民党と維新の急接近を内外にアピールした。そして16日の協議で、維新は「副首都構想」や「企業・団体献金の廃止」、「国会議員定数削減」など、12項目にわたる政策要求を提示。20日には連立合意がなされ、合意書にもこれら12項目が明記された。遠藤氏は高市氏を「決断が早い」と評価しており、その一例として、前政権の参院選公約であった2万円の給付金政策についてのエピソードを挙げている。
遠藤氏が、地方自治体の事務負担が大きい給付金政策に反対し、東京都が猛暑対策として水道の基本料金を無償化したように、ガスや電気代の補助の方が手数料も安く、迅速で逆進性もないため物価高対策に適していると提言したところ、高市氏は即座に「遠ちゃん、それいい。それやろう」と反応したという。この迅速な判断が、維新が連立に踏み切る大きな要因の一つとなった。
多党化時代の新たな政治潮流
異色の野党国対委員長である遠藤敬氏は、総理補佐官(連立合意政策推進担当)を兼任することになった。26年間続いた自公政権下では、公明党議員が官邸に入閣することはなかったため、この人事は多党化時代の新たな政治潮流を象徴するものと言える。自民党の「終わりの始まり」となるのか、それとも自民党が新たな形で時代をリードし続けるのか。一本のショートメールから始まったこの連立政権の行方に、今後の日本の政治の注目が集まっている。
FRIDAYデジタル
 
					




