巨人と死闘を繰り広げた元中日・谷沢健一氏が明かす長嶋茂雄さんとの“記憶” 「プロ初打席で膝の震えが止まったのは長嶋さんのおかげです」


【写真】谷沢氏が「出場したかった」と振り返る長嶋氏の引退試合

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 長嶋さんは立教大学にいる時代も、巨人に入団してからも、僕らの憧れのヒーローでした。

 僕が中日ドラゴンズに指名されたのが1969年。その年の12月、確か新聞の対談取材で東京・上北沢にあった長嶋さんのご自宅に呼ばれました。僕は長嶋さんと同じ千葉県出身、そして、長嶋さんは立教で僕は早稲田だったので、同じ東京六大学野球出身として気にかけてくださっていたようです。取材の内容は覚えていないけれど、憧れの人を前に、ずいぶん緊張しましたね。取材が終わった後は、亜希子夫人が「谷沢さん、中へどうぞ」と声をかけてくれて、一緒に鉄板焼きをごちそうになりました。その肉がものすごく柔らかくておいしかった。まだ小さかった一茂君は庭で遊んでいたかな。そのとき、長嶋さんに色紙を一枚、書いてもらったんです。その言葉がふるっています。

「一本のバットにすべてを託し、努力に努力を重ねた谷沢君。君の背番号14番に、音のしない大きな拍手を送る」

 確か1969年12月23日だったかな、日付と、長嶋茂雄と名前も入れてくれました。今は寄贈して手元にはないのですが、ずっと宝物になりました。

 そして、僕のプロデビュー戦になった1970年の開幕戦の相手は巨人でした。第一打席のバッターボックスに入ると、一塁に王貞治さん、三塁には長嶋さんがいるのが見える。ピッチャーは高橋一三さん。後楽園球場は超満員で、大学野球とは全然雰囲気が違いました。これがプロ野球かと思うと急に膝が震えだして、止まらなくなったんです。あっという間に2ストライクに追い込まれました。ただ、バッターボックスを外して顔を上げたときパッと長嶋さんが目に入って、そのときに思ったんです。「そうだ、長嶋さんもデビュー戦では金田正一さん相手に4打席連続三振だったんだ」って。じゃあ1回くらい三振してもいいかと考えると、震えがピタッと止まった。それで、次の1球を振ったらセンター前に抜けていきました。僕の初ヒットは長嶋さんが打たせてくれたようなものです。



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