日本人の朝のはじまりに寄り添ってきた朝ドラこと連続テレビ小説。その歴史は1961年から64年間にも及びます。毎日、15分、泣いたり笑ったり憤ったり、ドラマの登場人物のエネルギーが朝ご飯のようになる。そんな朝ドラを毎週月から金曜までチェックし、当日の感想や情報をお届けします。朝ドラに関する著書を2冊上梓し、レビューを10年続けてきた著者による「見なくてもわかる、読んだらもっとドラマが見たくなる」そんな連載です。本日は、第46回(2025年6月2日放送)の「あんぱん」レビューです。(ライター 木俣 冬)
● 屋村(阿部サダヲ)が 乾パン作りをいやがった理由
ジブリか。第10週のサブタイトルは「生きろ」(演出:橋爪紳一朗)。ジブリ「もののけ姫」のキャッチコピーと同じであった。「もののけ姫」では「生きろ。」。RADWIMPSの「賜物」のイントロがますますアニメの主題歌のように響く。
屋村(阿部サダヲ)が御免与町を出ていった。パンの種まで持って。この10年、時々ふらっといなくなったことはあったと語られたことがあったが、そのときはたぶん、種の入った壺は置いたままだったのだろう。今回は壺を持っていったので帰らない決意は固そうだ。
それほど屋村が乾パン作りをいやがった理由とは――。
朝、起きてきたのぶ(今田美桜)と羽多子(江口のりこ)に釜次(吉田鋼太郎)が「つらい話をさせてしもうた」とつらそうに伝える。
カメラが横移動し、先週の屋村と釜次がパン工房のなかで語り合う回想へと変わる橋爪演出。橋爪は「カムカムエヴリバディ」で書店の本棚の側面を通って時代劇の撮影所に移動するという横移動もやっていたことを思い出した。
屋村は欧州大戦に参加していた。
● 誰にも言えなかった 悲惨な過去
打ち明け話を聞いて釜次はびっくり。日本人で欧州大戦に参加した人はいないと思っていたからだ。
屋村は銀座のパン屋で修業しているうちに(さりげなく銀座のパン屋にいたことも白状している)もっとうまいパンを作りたくなりカナダに渡った。パン修業していると戦争に巻き込まれ、日本人義勇兵としてイギリス軍に参加した。
そこで戦争という地獄を見た。どんどん人が死んでいくのを間近で見ながら、そんなときでもお腹が減る。「塹壕で涙ながしながらそれでも腹が減る」という辛い思いを味わった。
泣きながら、死んだ人のもっていた乾パンにかじりつく屋村の回想。震える瞳からあふれる涙は鮮烈だ。この場面、乾パンをボリボリとかじる乾いた音も印象的だった。
そんな悲惨な過去を誰にも言わずに抱えてきた屋村。乾パンはトラウマなのだろう。
だがしかし、義勇兵といえば自ら志願するものである。当時の日本のように、国から戦争に行くよう命じられたわけではない。国の犠牲になることをいやがっていたはずの屋村と彼の過去が食い違ってはいないだろうか。
ただ、異国で戦争に巻き込まれ、志願兵になるしかないのっぴきならない状況に追い込まれてしまったのかもしれない。あるいは、志願したもののそこで体験した殺し合い、そして飢餓の激しさに衝撃を受け、こんな状況を二度と味わいたくないと後悔したか。
たぶん、後者かなと思う。自ら戦争に参加したことをものすごく後悔しているのではないかと。つまり、どちらかというとかつての屋村は、流されて愛国のかがみになっているのぶと近かったのではないか。
自ら志願する義勇兵といえば、ウクライナ戦争では日本人が志願して戦争に参加している。亡くなった人もいると報道もされている。
今週のサブタイトル「生きろ」は、正義感などから戦場に行き命を落とす人もいることに対する思いもあるのかなあと感じたが、まだ今週ははじまったばかり。これから「生きろ」の局面がもっと出てくるのかもしれない。