「自宅の表札の文字は長嶋さんに書いてもらいました」 熱烈なファンのテリー伊藤が語る長嶋茂雄さんとの“秘話”


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──6月3日、午前6時39分に長嶋さんが肺炎で亡くなったという訃報がニュースで流れました。

 今日は人生で一番、悲しくて寂しい日ですね。ミスター(長嶋さん)には本当にお世話になって、いろいろな思い出があります。

──どんなことを真っ先に思い出しますか。

 大学1年のとき、学生運動で左目が見えなくなって、入院していたんです。人生にやる気をなくし、打ちひしがれていたんですけど、ちょうどその1968年の9月、阪神・巨人戦が甲子園でやっていた。その試合は荒れていて、王貞治さんが頭にデッドボールを受けて、そのまま病院送りになりました。阪神ファンと巨人ファンが大乱闘するような状況で、四番の長嶋さんはずっとそれを見ていたんです。その時、「ここで長嶋さんが打ってくれたら、僕も、もう一回人生を頑張れるな」と思ったんですね。そうしたら、ミスターは本当にホームランを打った。そのホームランが僕の人生の大きな転機になっています。人生の恩人なんです。

──長嶋さんのホームランが人生を立て直すきっかけになったんですね。

 まだあります。社会人になって、いい仕事ができなくて、腐っている期間があったんですけど、ちょうどその時、長嶋さんも第一期の巨人軍の監督を解任された時期でした。僕も大変だけど、ミスターの方がもっと苦しい思いをしているなと思って、頑張った思い出があります。

──長嶋さんはいろいろな名言を残しました。

 僕が衝撃を受けたのは、ミスターが「バッターボックスに立ったとき、ピッチャーの投げてきたボールの真ん中を打つ」と言っていたことです。それを聞いて僕は「世の中をナナメに見てはいけないんだな」ということを教わりました。



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