長年の芸能生活を経て、法律上の夫婦関係を維持しつつ、故郷で悠々自適な一人暮らしを始めたものまねタレントの清水アキラ氏(70)。しかし、彼が「卒婚」を通して気づいたのは、理想と現実の間に横たわる予想外のギャップでした。熟年期に一人で暮らすことの難しさや寂しさについて、自身の体験を基に語ります。本稿は、朝日新聞取材班の『ルポ 熟年離婚』から一部を抜粋・編集したものです。
ものまねタレント清水アキラ氏、熟年期の「卒婚」とその後の生活を振り返る
「卒婚」選択の背景:長年の芸能生活と故郷への憧れ
清水アキラ氏が長年連れ添った妻(68)と「卒婚」を選んだのは、今から11年前のことでした。そのきっかけは、清水氏が抱いていた故郷への移住願望にありました。芸能界という厳しい世界で長年活躍してきた彼は、還暦を過ぎたら故郷である長野県へ移り住むことを心に決めていたと言います。両親は既に他界していましたが、長男として先祖代々の実家と墓を引き継いでいた清水氏にとって、長野は特別な場所でした。
幼少期から親しんできたスキーは、高校から大学にかけて5年連続で国体に出場するほどのプロ級の腕前。還暦後は長野へ戻り、スキーはもちろん、釣りやゴルフなど好きなだけ楽しみたいと考えていました。さらに、長年の趣味である油絵にもじっくりと集中したいという強い思いがあったのです。
都会を離れたくない妻とのすれ違い
清水氏が油絵の面白さにのめり込むきっかけとなったのは、油絵の名手としても知られる加山雄三氏(87)との出会いでした。2000年頃、加山氏の自宅で油絵を見せてもらい、教えを請うたところ、「絵は自分で考えて描くんだ。そのほうが面白い」という言葉に感銘を受けます。加山氏の筆の使い方や洗い方を真似て学び、油絵の世界に深く没頭していきました。
2009年からは箱根のホテルで1年間ものまねショーを行い、妻も同行し、週末以外は二人でホテル暮らしを送りました。夜のショーまでの時間は、部屋で油絵を描いたり温泉に入ったりと、のんびりとした日々を過ごす中で、清水氏は「還暦後はこんな暮らしもいいな」と感じたと言います。実際に、清水氏の長野の実家には温泉を引いた露天風呂も完備されていました。息子3人が既に独立していたため、新宿区に建てた8LDKの一軒家を売り、ダウンサイズした家へ引っ越して長野移住の準備を進めました。しかし、ここで妻から思わぬ反応が。東京生まれ東京育ちの妻は、移住の提案にどうしても首を縦に振らなかったのです。結婚当初から仕事で多忙を極めていた清水氏ですが、夫婦仲は悪くないと思っていました。移住が嫌な理由を尋ねると、妻は「田舎暮らしがしんどい。友人もいない長野で生活する気にはなれない」と本音を漏らしました。
「卒婚」後の現実:油絵が描けない孤独な日々
当時、清水さん夫妻は妻の母親と同居しており、すでに孫たちも誕生していました。妻は「東京で孫たちや母の世話をしたい」「友人たちと離れたくない」と主張し、一歩も譲りません。一方の清水氏も譲ることができず、2013年に夫婦は「卒婚」を決断しました。一度言い出したらやらないと気が済まない夫の気性を知る妻は、反対することはありませんでした。清水氏は古くて広い実家をリフォームし、居間には囲炉裏をこしらえ、2014年に長野へ移住します。
しかし、清水氏は「結論から言うと、油絵は1枚も描けなかった」と打ち明けます。移住した当初は、故郷の友人と釣りに出かけ、囲炉裏で魚を焼くなど、大自然を満喫していました。料理も嫌いではなかったそうです。しかし、友人が帰り、一人で後片付けをしていると、何とも言えない寂しさがこみ上げてきました。
その後、清水氏は洗濯物を持って妻のいる東京の家へ夜な夜な車を飛ばして頻繁に帰るようになります。たまには長野へ来るように妻を誘うと、「卒婚にならないじゃないの」と困った顔をされながらも、何度か長野へ案内したと言います。
卒婚が問いかける熟年期の夫婦関係とセカンドライフ
清水アキラ氏の「卒婚」体験は、熟年期の夫婦関係やセカンドライフの設計において、理想と現実の間に潜む複雑なギャップを浮き彫りにします。自身の趣味や故郷への思いを優先した結果、新たな孤独感に直面した彼の姿は、安易な「卒婚」や「田舎暮らし」が必ずしも理想の結末をもたらすわけではないことを示唆しています。熟年離婚を回避しつつも、個々の自由を尊重する「卒婚」という選択肢が、実際にどのような感情や課題を伴うのか、深く考えさせられる事例と言えるでしょう。
参考資料
- 朝日新聞取材班. (刊行年不明). 『ルポ 熟年離婚』. 朝日新聞出版.





