浅野忠信さんの母・順子さん(74)が明かす、人生を変えた「60代の恋」 離婚、介護を経て…「一緒にいられるのは10年。楽しいことをいっぱいしようねって」


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 順子さんは、戦後、日本に駐留していたアメリカ人調理兵の父と元芸者の母の間に生まれ、1960年代、山口小夜子やキャシー中島も所属し、横浜・本牧のディスコで華やかに遊ぶことで知られていた美少女グループ「クレオパトラ党」の一員だった。さらに、60歳を過ぎて出会った恋人に才能を見出され、画家デビューしたという特異な経歴を持つ。

 彼女と同時代を生きてきた畏友、ミュージシャンの近田春夫さん(74)を聞き手に迎え、稀代の女傑の半生を彼女のアトリエで掘り下げる。

43歳で離婚、母とともに上京を決意

浅野 そう。家に籠って、ただ愚痴をこぼしてるだけの人生は嫌だなあと思ってね。そして、家族と別れ、母親と一緒に東京に引っ越したのよ。

近田 東京じゃ、まずどこに住んだの? 

浅野 恵比寿。住所でいうと渋谷区東。西野バレエ団のメンバーも住むようなお洒落なマンションだったのよ。

近田 西野バレエ団には、由美かおる、金井克子、奈美悦子らが所属してたよね。彼女たちは、「レ・ガールズ」というグループを組んで活動してたっけ。

浅野 そうそう、懐かしい(笑)。そのマンション、庭にはウグイスも飛んでくるような素敵な場所で、六角形の畳の部屋なんかがあったのを覚えてる。そして、同じタイミングで、とある男性とパートナー関係を結び、同居することになった。

近田 どんな人だったの? 

浅野 年齢は私の2歳上で、色が真っ黒なサーファーだった。

近田 じゃあ、順子さんもサーフィンやったの? 

浅野 まあ、始めたのが40代初めだから、あんまり上達はしなかったけどね。

近田 俺、サーフィンは一度だけやったことがあるんだけど、これは無理だと思ってすぐにあきらめたよ(笑)。

浅野 サーフィン自体への興味というより、彼と一緒にやりたいという動機の方が大きかったから。でも、スノーボードは結構上手くできたのよ。

近田 へえ。ちなみに、その彼の仕事は? 



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