「仕事ができる人」「優秀な人材」の本当の定義とは?時代で変わる評価基準

ビジネスの世界で頻繁に耳にする「仕事ができる人」や「優秀な人材」という言葉。誰もが目指す、あるいは求める概念ですが、その定義は普遍的なものなのでしょうか?本稿では、長年人材業界に携わってきた視点から、「優秀さ」が時代や環境によって変化し、相対的に評価される概念であることを論じる。現代社会、特に日本の労働環境における「優秀さ」の捉え直しは、個人と組織双方にとって重要な視点となるだろう。

仕事ができるビジネスパーソンのイメージ仕事ができるビジネスパーソンのイメージ

「できる人」「優秀な人材」とは何か? (一般的な認識)

ビジネスでよく聞く「仕事ができる人」「優秀な人材」。誰もが目指し、組織も求める概念ですが、普遍的なものとして捉えられがちです。特定のスキルに長けている、困難な課題を解決できる、目標を達成するなど、様々なイメージがありますが、多くの場合、全方位的に優れている理想像として語られます。しかし、心理学や福祉の視点からは、個々の特性を「優秀」と断じることへの慎重さもあります。営利組織である企業がパフォーマンスを求めるのは当然ですが、「優秀さ」の定義自体を深く考える必要があるでしょう。

普遍的な「優秀さ」は存在しない理由

では、「仕事ができる」という状態は、本当に絶対的なものなのでしょうか?私はそうではないと考えます。「優秀さ」とは、絶対的な基準ではなく、常に他の誰かとの比較や、特定の場面における相対的な概念です。ある環境で「できる」と評価される人が、全く別の環境や役割でも同じように評価されるとは限りません。この相対性こそが、「普遍的な優秀さ」という考え方が幻想であることの根拠となります。

時代、環境、役割で変化する評価

「仕事ができる」の定義は、時代、文化、業界、企業で大きく変わります。戦国時代に武勇で名を馳せた武将が、平和な江戸時代には統治能力を求められ、異なる評価を受けたかもしれません。企業においても、かつては年功序列や会社への忠誠心が高い評価に繋がりましたが、現代ではイノベーション力や変化への迅速な適応力がより重要視されています。職種によっても必要な能力は異なり、例えば営業職ならコミュニケーション能力や粘り強さ、研究職なら専門知識や論理的思考力が求められます。また、協調性重視の日本企業と、個人の成果が強く評価される欧米企業とでは、「優秀さ」と見なされる特性が異なることは広く知られています。グローバル化や技術革新が進む現代日本で求められる「優秀さ」の像も絶えず再定義されています。

評価は一時的であり、常に見直されるべき

さらに言えば、「この人は優秀だ」という評価は、必ずしも永続的なものではありません。同じ人物であっても、時間の経過と共にその評価は変わり得ます。例えば、デジタル化が進む以前の時代に「仕事ができる」と評価されていた人が、新しいテクノロジーやデジタルスキルの習得に対応できなかった結果、「時代遅れ」「使えない」と評価を下されてしまうケースは少なくありません。これは、個人の能力が衰えたというよりは、時代や求められる役割が変わったことによる評価の変化です。このように、「優秀さ」という評価は特定の時点、特定の環境におけるスナップショットに過ぎず、常に状況に応じて見直されるべき性質を持っています。

本稿では、「仕事ができる人」「優秀な人材」という概念が、普遍的なものではなく、時代や環境によって変化する相対的な評価であることを論じました。評価は一時的であり、常に文脈の中で見直されるべきです。この理解は、個人が変化の激しい現代で自身の能力をどう活かすか、組織が多様な人材をどう評価・育成するかを考える上で重要です。固定観念にとらわれず、変化の中で自身や他者の「できる」を捉える視点を持つことが、現代社会では求められています。

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