小泉農水大臣、備蓄米20万トン売却へ その狙いと制度の背景

小泉進次郎農林水産大臣は6月10日、新たに備蓄米20万トンを随意契約で民間へ売り渡すと発表しました。このうち半分の10万トンは2020年産、いわゆる「古古古古米」が含まれます。今回の売却により、店頭価格が5キロあたり1700円程度まで下がると期待されています。この20万トンが全て売却されれば、国の備蓄米残量は約10万トンとなる見込みです。

備蓄米の売却政策について会見で説明する小泉進次郎農林水産大臣備蓄米の売却政策について会見で説明する小泉進次郎農林水産大臣

備蓄米売却の意図と国民の誤解

小泉農水相は、備蓄米を積極的に市場へ放出する姿勢を明確にしており、今回の決定はまさに有言実行と言えます。現在のコメ価格高騰への対策として、その方針はインターネット上で一定の評価を得ています。一方で、以前から農水省による備蓄米の民間売却に対しては批判的な声も存在します。特にSNS上では「災害や凶作時には備蓄米は無料で国民に放出されるべきだ」という情報が拡散され、これを根拠に「現在の米高騰も非常時だから無料で放出せよ」といった主張が見られます。中には「納税者の税金で備蓄した米だから、無料放出が基本であり、入札や随意契約はおかしい」と憤る地方議員もいます。しかし、備蓄米を市場に放出する際、そもそも政府が民間に売却することが制度の基本設計となっていることを理解しておく必要があります。

備蓄米制度の誕生:平成の米騒動の教訓

備蓄米制度は1995年に始まりましたが、その背景には1993年に発生した「平成の米騒動」があります。現在の「令和の米騒動」のコメ高騰原因は複合的で明らかになっていない点が多いですが、平成の米騒動は異常な不作が原因でした。夏の平均気温が平年より数度も低くなるという厳しい冷夏により稲が十分に育たず、当時の年間需要量1000万トンに対し、供給量が800万トンしか確保できませんでした。この供給不足により、全国のスーパーや米穀店からコメが瞬く間に姿を消したのです。

緊急輸入と初期の備蓄米制度:回転備蓄

政府は1993年9月、緊急措置としてタイ、中国、アメリカから合計259万トンのコメを緊急輸入しました。しかし、この輸入米は消費者から「美味しくない」と不評であり、日本米との抱き合わせ販売やブレンド販売といった紆余曲折を経て、翌1994年の豊作によって事態は沈静化しました。この苦い経験から、将来の不作に備えるための備蓄米制度がスタートしました。制度開始当初は「回転備蓄」方式が採用され、3年の保管期間を経過した「古古古米」は、主食用としてコメ市場に売却されるルールでした。

市場価格への影響と制度の見直し:棚上備蓄へ

ところが、2000年代後半になるとコメ価格が暴落します。JAは強い危機感を示し、自民党の農水族議員だけでなく共産党なども国会で「備蓄米の買い支えでコメ価格を維持すべきだ」と強く主張しました。この時、回転備蓄方式も問題視されました。政府が100万トン単位の在庫を抱えていることが、コメ価格の上昇を妨げているとJAは猛批判したのです。その結果、2011年度から制度は「棚上備蓄」方式に切り替えられました。この方式では、保管期間が終了した備蓄米は、飼料用などの非主食用として売却されます。これにより、備蓄米が主食用米市場に流通することがなくなり、コメの小売価格への直接的な影響を抑えられるようになりました。

制度の根幹:民間への売却

回転備蓄から棚上備蓄へと制度は変化しましたが、共通する重要なポイントは、保管期限を過ぎた備蓄米は主食用か非主食用かを問わず、民間へ売却されるという制度設計が基本であるという点です。小泉農水大臣が進める今回の備蓄米放出も、この長年にわたる制度の枠組みの中で行われています。政府がコメを備蓄する目的は、あくまで不測の事態に備える食料安全保障であり、その管理・運用コストは税金で賄われています。保管期間が終了した備蓄米を適切に市場に戻す(または非主食用として流通させる)ことで、備蓄コストの一部を回収しつつ、市場への影響を管理することが制度の目的の一つと言えます。したがって、「備蓄米は無料で放出されるべき」という主張は、この制度設計の根幹とは異なる理解に基づいています。