私たちの日常生活の中で、予期せぬトラブルが発生することは少なくありません。一見すると些細な問題でも、状況によっては多額の費用負担につながることもあります。特に、住まいに関わるトラブルは深刻化しやすい傾向にあります。賃貸物件における漏水事故は、その代表例と言えるでしょう。実際に共同住宅で発生する不具合の原因として「漏水」は最も多いというデータもあります。本稿では、北海道で発生したシャワー設備の排水口詰まりに起因する漏水事故と、それに伴う裁判事例の詳細をご紹介します。
事例の概要:築古アパートとシャワーコーナーの特殊性
この事例は、札幌市内に自身の築40年近くになる2階建てアパートを所有し、その1階に住んでいたサダオさん(仮名、男性)に起こりました。2021年夏、サダオさんのアパートの2階にリョウコさん(仮名、女性)が入居します。リョウコさんは母親の名義で火災保険(家財補償特約付き)を契約しました。リョウコさんの部屋には一般的な浴室がなく、洗面台の隣にシャワーコーナーが設置されているタイプでした。このシャワーコーナーは、1階に住むサダオさんの部屋のクローゼットの真上に位置していました。シャワーを日常的に使用すると、髪の毛などが排水口に溜まるのは避けられません。しかし、リョウコさんの部屋のシャワーコーナーは、排水口が詰まってしまうと、シャワーコーナーの床面に水が溜まり、その隙間から階下へ水が漏れてしまう構造上の特徴がありました。そのため、漏水事故を防ぐためには、日頃から排水口の丁寧な掃除が不可欠な状態でした。
築古アパートのシャワー排水口が原因で漏水が発生した状況を示す画像
立て続けに発生した漏水事故とその対応
事態が発生したのは、リョウコさんが入居した年の冬のことです。リョウコさんがシャワーを使用していたところ、シャワーコーナーの排水口が詰まり、水が溢れて漏水が発生しました。この水は階下、つまりサダオさんの部屋にも浸入し、被害をもたらしました。最初の事故後、サダオさんはリョウコさんに対し、今後このようなことがないよう、シャワーコーナーを使用する際は排水口をしっかり掃除して使うように注意を促しました。しかし、そのわずか1週間後、再び同じ原因で漏水事故が発生し、またしてもサダオさんの部屋に水が浸入するという事態が起こりました。再度の事故に業を煮やしたサダオさんは、2階のリョウコさんの部屋へ向かいました。「いったい何をやってるんだ」とリョウコさんを問い詰め、シャワーコーナー周辺の状況を写真に収めました。この一連の漏水事故が原因で、サダオさんは自身が所有するアパートでの生活を続けることが困難となり、別の集合住宅への転居を余儀なくされました。
保険金の不払いと裁判への発展
リョウコさんが契約していた火災保険には、賃貸物件の損壊に対する「借家人賠償責任保険」の特約が付帯していました。これは、借家人が故意または過失によって賃貸物件に損害を与えた場合に、貸主に対して負う損害賠償をカバーするものです。しかし、保険会社による事故調査の結果、「リョウコさんに過失はなかった」と判断され、保険金は支払われませんでした。
この結果を受け、サダオさんは法廷に訴えを起こすことを決意します。サダオさんは、リョウコさんが排水口の掃除を怠り、シャワーコーナーに水を溜めたことで漏水事故を引き起こし、階下の自身の部屋を損傷させた行為は、故意または過失によるものだと主張しました。そして、アパートの修理にかかる費用約290万円と、衣類などの損害分約5万円あまりの合計損害額について、リョウコさんに損害賠償を求める訴訟を札幌地方裁判所に提起しました。
一方、リョウコさん側はこれに対し、漏水事故は保険会社の調査でも指摘されているように、アパート自体の構造に起因するものであり、法律上の賠償責任は負わないと反論し、サダオさんの請求を棄却するよう求めました。
裁判の争点と今後の見通し
この裁判における最大の争点は、漏水事故に関してリョウコさんの側に故意または過失があったかどうかです。特に、リョウコさんが、当該アパートのシャワーコーナーが排水口の詰まりによって漏水しやすい構造であることを認識していたか、あるいは認識すべきであったか、そしてその構造を前提として漏水事故を防止するための排水口清掃義務を負っていたか否かが詳細に審理されることになると考えられます。リョウコさんが清掃義務を怠ったことが「過失」にあたるかどうかが、裁判の判断を左右する鍵となります。
加えて、仮にリョウコさんの過失が認められたとしても、アパートが築古であり、構造上の問題が漏水の一因となったと判断された場合、家主であるサダオさんの側にも管理上の過失があったとみなされる可能性があります。その場合、「過失相殺」が適用され、リョウコさんが最終的に支払うべき損害賠償額が減額されることも十分に考えられます。この事例は、賃貸物件における設備の維持管理責任、借家人と貸主双方の注意義務、そして保険の適用範囲といった、複雑な要素が絡み合ったケースと言えます。
結論
本事例は、シャワー排水口の詰まりという日常的な問題が、アパートの構造的な特性と結びつくことで漏水事故を引き起こし、最終的に高額な損害賠償を求める訴訟に発展したケースです。入居者には賃貸物件を善良な管理者として注意深く使用する義務があり、設備の構造を理解し、必要なメンテナンスを行うことも含まれ得ます。他方、貸主には安全かつ使用可能な状態で物件を提供する責任があり、構造上の問題点に対する対策も求められます。この裁判の行方は、同様の構造を持つ物件や、賃貸物件の維持管理責任に関する今後の判断に影響を与える可能性があり、注目されます。小さな「うっかり」が大きなトラブルへと発展しないよう、日頃からの注意と、万が一の際の責任範囲や保険について確認しておくことの重要性を示す事例と言えるでしょう。