寺尾聰がインタビュー録音中止を要求した理由:番記者が考えた「つまらない原稿」とジャーナリズム

俳優・歌手として比類なき存在感を放つ寺尾聰氏(78)が、主演映画「父と僕の終わらない歌」(小泉徳宏監督)の公開にあたり応じたインタビューでの出来事が、メディア関係者の間で静かな波紋を広げている。長年の芸能番記者として数多くの著名人と向き合ってきた筆者にとって、この経験は、改めて自身の取材手法とジャーナリズムの本質を見つめ直す貴重な機会となった。話題となったのは、インタビュー開始直後に寺尾氏が「えっ、録るの? よせよ。やめてくれる」と、目の前の録音機材の停止を求めたことだ。コメントの正確性を期したいという記者の姿勢に対し、寺尾氏は意外な言葉を返した。「俺は、間違えていいから」。

録音中止を求めた真意とは

寺尾氏が録音を止めるよう求めたのは、単なる気まぐれやメディアへの不信感からではなかった。彼は続けた。「俺の言葉を書き起こされると、つまんないんだよ。この役者が、こうだった、というのが反映されていない気がする」。さらに、「ほとんどが映画のちらしに書いてあることをまとめたような、つまんない原稿。だったら、ちらしでいいじゃないか?」と、現在の多くのインタビュー記事に対する率直な疑問を投げかけたのだ。この「つまんない原稿」「ちらしでいいじゃないか?」という言葉は、長年、多くの取材を受けてきたベテラン俳優だからこその偽らざる本音であろう。記者はこれに対し、「じゃあ、原稿の1行目から『録音、やめろ』と言ったことを書きますよ」と応じた。日本アカデミー賞最優秀主演男優賞と日本レコード大賞、両方を受賞した唯一の存在である寺尾氏に対し、一見無礼とも取れるこのやり取りは、現場の空気を一変させた。

現場の緊張と寺尾氏の意外な反応

記者の挑発とも取れる返答に対し、周囲には緊張感が走った。「また、言っちゃったよ」「やっちゃったなぁ…」という雰囲気が漂う中、寺尾氏は椅子から身を乗り出し、「それでいい」と答え、初めて笑顔を見せた。その言葉を受け、記者はインタビュー開始からわずか29秒で録音機材を停止した。録音は止めたものの、一定の緊張感を保ちつつ取材は進行し、無事に終了した。

映画「父と僕の終わらない歌」インタビューで役柄や芝居について語る寺尾聰さん映画「父と僕の終わらない歌」インタビューで役柄や芝居について語る寺尾聰さん

この日、寺尾氏は他の複数のメディアの取材も受けていたが、録音の停止を求めたのは筆者の取材時だけだったという。関係者も「寺尾さんが、なぜ録音しないよう言ったのか、理由が分かりません」と驚きを隠せなかった。一部の関係者は、「長年、さまざまな取材を受ける中で、ずっと疑問に感じ、積もり積もっていたものが寺尾さんの中にあって…村上さんの顔を見て、言ってみたら、何とかするんじゃないか、と思われたのではないですか?」と推測していた。取材時間は限られており、すぐに次の予定も控えていたため、事前の準備として録音機材をテーブルに置いていたことは確かだが、それが特段のプレッシャーになったとは考えにくい。なぜ、その時、その記者の取材でだけ録音を止めたのか、その理由はいまだに明確ではない。

記者が見つめ直すインタビューの価値

しかし、取材中も寺尾氏の「俺の言葉を書き起こされると、つまんないんだよ」という言葉が、記者の脳裏を離れなかった。確かに、近年の芸能インタビュー記事には、録音内容をそのまま文字に起こしただけのようなものが少なくない。寺尾氏が指摘するように、「この役者が、こうだった、というのが反映されていない」記事、まるでプレスリリースや映画のチラシをなぞっただけのような内容も散見される。

筆者自身は、インタビューの音声を全て書き起こして記事にするような手法は取らないようにしている。聞いた言葉は頭の中に入っているが、それ以上に、現場で感じた空気感、取材対象者の目の輝き、声のトーンといった、向き合って受け止めた「生」の情報を大切にしたいからだ。全てを書き起こしてしまうと、情報に引きずられ、人と人との間に流れる温度感やリアリティが損なわれるような気がして、むしろ嫌悪感すら覚えることがある。

もちろん、話の内容が複雑だったり、専門用語が多かったりする場合、あるいはセンシティブな話題や私的な内容に踏み込む場合は、事実関係やニュアンスを正確に伝えるため、録音音声を聞き返すことはある。これは、昨今SNSの普及により、発言の正確性に対する要求が強まっていることも影響している。

記憶に残る言葉とその意味

今回の寺尾氏とのインタビューでは、録音を止めたにも関わらず、聞き方や取材手法を特別に変えたわけではない。急いでノートに書き留めた字も、相変わらず判読しにくい箇所もあるだろう。それでも、驚くことに、寺尾氏の発言内容はもちろん、あの日の出来事、インタビューの空気感の全てが、3週間経った今も脳裏に鮮明に残っている。「あなたの言葉で、書いて欲しいと言っているんだ。記者として、どう感じたかを書けば良い」と寺尾氏は語った。記者が自身のフィルターを通して書いた文章は、単なる記録を超え、読み手の心に深く刻まれる可能性がある。寺尾氏は、まさにこの「記者自身の言葉で伝える」ことの重要性を伝えたかったのではないか、と筆者は今、受け止めている。

紙面が発行された日の朝、寺尾氏は早速その記事を読み、関係者を通じて感想を寄せてくださったという。その内容は私信にあたるため詳細は控えさせていただくが、改めて、記事を読んでくださったこと、そしてメディアとして「まっとうに生きる」ことを諦めるなとエールを送ってくださったことに、心から感謝したい。この経験は、記者のキャリアにおいて、決して忘れられない財産となるだろう。

参考資料