秋田のクマ出没、自衛隊派遣の歴史的背景と過去の事例

日本各地でクマの出没が相次ぎ、人身被害が拡大する中、秋田県では鈴木健太知事が自衛隊の派遣を要請しました。これに対し、小泉進次郎防衛大臣も理解を示し、秋田県への自衛隊派遣が開始されています。SNS上ではクマの駆除を求める声も聞かれますが、自衛隊は「自衛隊法100条」に基づき、公共工事の後方支援として出動しており、直接的な駆除活動は行わない方針です。しかし、自衛隊の歴史を紐解くと、過去にはクマや虫による獣害・虫害に対し、多様な形で出動してきた事例が存在します。

クマに対する自衛隊派遣の現状と背景

秋田県では、近年まれに見るクマの大量出没により、住民の安全が脅かされる深刻な事態に直面しています。この非常事態を受け、県知事からの要請により、自衛隊が災害派遣として出動しました。防衛省は、自衛隊法第100条に定める「公共工事等への協力」を根拠に、クマ対策における後方支援に従事するとしています。これは、主に監視活動や地域住民の安全確保のためのパトロールなどが想定されており、部隊が直接クマを駆除する活動とは一線を画しています。

秋田県でのクマ対策に関する会見での小泉進次郎防衛大臣秋田県でのクマ対策に関する会見での小泉進次郎防衛大臣

自衛隊の獣害・虫害対策:知られざる歴史

自衛隊が獣害や虫害に対して出動した事例は、これまでにも数多く記録されています。しかし、これらの事例の多くは1950年代から1970年代と古く、自衛隊が正式な記録をほとんど残していないこと、また当時のマスコミ報道も限定的であったことなどから、その詳細はほとんど知られていません。こうした歴史的背景は、現在の自衛隊派遣を理解する上で重要な視点を提供します。

過去のクマ派遣事例:1960年代の記録

筆者の調査によれば、クマによる被害に対して自衛隊が派遣された事例は、1960年代に北海道から東北地方にかけて少なくとも8件確認されています。

海上自衛隊函館基地隊の事例(1961年)

最も古い記録の一つは、1961年9月に北海道松前地方で発生した事例です。農作物の被害が深刻であったため、地元からの要請を受け、海上自衛隊函館基地隊から隊員3名と猟銃5丁が5日間にわたり出動しました。『自衛隊年鑑』にはその記録がありますが、活動の詳細や具体的な法的根拠は不明確です。当時、災害対策基本法はまだ施行されておらず、派遣の法的枠組みは現在のものとは異なっていた可能性があります。

北海道標津町古多糠集落への大規模派遣(1962年)

1962年10月には、北海道標津町の古多糠(こたぬか)集落で大規模な自衛隊派遣が行われました。度重なるクマの出没により、家畜への被害や人身被害が相次ぎ、深刻な状況に陥っていました。この派遣では、M16対空自走砲2両を含む部隊が災害派遣され、学童の輸送支援やパトロール活動に従事しました。しかし、『週刊読売』の報道によると、住民からの強い要請を受け、派遣部隊が銃器を用いてクマの駆除活動に参加したと伝えられています。この事例は、自衛隊が直接的な駆除に関与した数少ない記録の一つとして特筆されます。

その他の事例(1965年)

また、具体的な時期や派遣地域は不詳ですが、『標津分屯地創立50周年記念誌』には、1965年に学童輸送支援中の輸送隊がクマに襲われ、第27普通科連隊の隊員が短銃でクマを射殺したとされる写真が掲載されています。これらの事例は、自衛隊が地域住民の安全確保のため、必要に応じて直接的な行動を取ってきた歴史があることを示しています。

結論

今回の秋田県における自衛隊のクマ対策派遣は、後方支援を主とした形で行われていますが、その歴史を振り返ると、自衛隊は過去に多岐にわたる獣害・虫害に対し、地域の要請に応じて様々な形で対応してきたことが明らかになります。これらの知られざる歴史的背景は、現代の自衛隊と地域社会の関係性、そして変化する災害派遣のあり方を考える上で、貴重な示唆を与えてくれるでしょう。