戦車に関する記事は常に大きな反響を呼びます。以前の「軍事オタクはなぜ“戦車”に執着するのか?」に関する記事も多くの読者の関心を集めました。元中級幹部自衛官で軍事ライターである筆者としても、こうした反響をいただけるのは大変光栄です。その中で、「戦車は日本の防衛に不可欠である」とのご意見も多く寄せられました。具体的には、「敵は日本本土に上陸してくる」「海上での100%撃破は不可能」「米軍の来援まで持久戦が必要」といった主張が挙げられています。これらの指摘は日本の防衛戦略において妥当な前提と言えるのでしょうか。残念ながら、これらの前提条件は非現実的であり、説得力のある反論とはなりません。「戦車不要論は間違いだ」という結論ありきで、戦車がどうしても不可欠となる状況を無理に作り出そうとする、本末転倒な議論に他ならないのです。
日本の防衛論議で注目される戦車の写真
戦争と本土侵攻を混同する危険性
まず第一に指摘すべきは、戦争という事態を日本本土への侵攻戦と短絡的に結びつける無理な想定です。「戦車不可欠論」は、「戦争が起きれば、仮想敵国は必ず日本本土に侵攻してくる」という大前提の上に成り立っています。その上で、このような状況においては戦車が不可欠だと主張します。しかし、実際の軍事紛争の現実は異なります。確かに、仮想敵国である中国との間で何らかの軍事的な衝突が発生する可能性は否定できません。しかし、それは必ずしも中国軍が日本本土に大規模な上陸作戦を仕掛けてくることを意味しません。
一般的に、ほとんどの戦争は係争となっている特定の地域に限定されて終結することが多いです。歴史的に見ても、日本が経験した日清戦争や日露戦争の主戦場は、朝鮮半島や中国東北部といった係争地でした。また、仮想敵国である中国は、日本本土に対して領土的な主張を行っていません。中国と日本の間で主張が衝突しているのは、尖閣諸島や東シナ海の境界線問題に限定されます。この点を踏まえれば、中国が戦略目標として日本本土への侵攻を選ぶ理由は乏しいと言えます。
さらに、中国は軍事力の行使において、その規模を限定し、抑制する傾向が強いとされています。中国政府は軍事オプションを選択する際にも慎重であり、紛争が起きた場合でも常に局地的、抑制的な解決を目指す傾向があります。そうした中国の軍事戦略の特性を考慮すると、戦争を際限なく拡大させることになる日本本土への本格的な侵攻は、中国にとって望ましくないシナリオと考えられます。したがって、日本本土への大規模な上陸戦という事態は、現実的な蓋然性が低いと言わざるを得ません。
「戦争と本土侵攻の混同」について論じる戦車のイメージ
本土上陸への備えは「今」必要か?
しかし、「戦車不可欠論」においては、こうした現実味の低い本土上陸の可能性に備え、平時からの戦車部隊の整備拡充を主張しています。これもまた、適切な日本の防衛戦略としては誤りであると考えられます。仮に、万が一にも日本本土への上陸戦が発生するような事態に至ったとしても、それは海空自衛隊といった主要な戦力が完全に消耗し、もはや手の施しようがない戦争の末期的な段階において初めて現実味を帯びてくるシナリオだからです。
過去の歴史を見ても、同様の傾向が見られます。第二次世界大戦における日本本土決戦への準備が本格化したのは、1944年夏のマリアナ諸島失陥以降のことです。これは、日本の敗色が濃厚となり、すでに大局的な敗北が決定的となった後の段階でした。
平時における日本の防衛力整備においては、現在進行形で仮想敵国と対峙し、抑止力として機能している海空自衛隊の戦力整備が優先されるべきです。軍艦や戦闘機といった海空戦力こそが、平時においても実際に中国などと向き合っている主要な戦力だからです。戦車部隊が直接、こうした安全保障上の最前線で対峙しているわけではありません。
まとめ
日本の防衛戦略を考える上で、「敵による本土上陸」を絶対的な前提として戦車の不可欠性を主張する議論は、現実的な軍事情勢や歴史的経緯を踏まえると非現実的と言わざるを得ません。戦争が必ずしも国土侵攻に直結するわけではなく、仮想敵国の戦略的傾向も考慮すべきです。また、本土上陸の可能性に備える必要が生じるのは、主要な海空戦力が機能を失った戦争の最終局面であり、平時からの優先的な備えとしては適切ではありません。現在の日本の防衛において優先されるべきは、現実に活動し、抑止力となっている海空戦力の更なる強化であると考えられます。