中卒で衆議院議員に 黒田征樹氏が語る「学歴の壁」と「現場の力」

「私自身の経歴が自慢できるものではないため、正直なところ複雑な気持ちもあります」――日本維新の会所属の黒田征樹衆議院議員(大阪16区)は、その異色の経歴について語る際、ためらいを見せた。高卒議員ですら珍しい国会において、黒田氏の最終学歴は「中卒」。堺市の公立中学を卒業後、高校には進学せず塗装業の世界へ飛び込み、国会議員という異例の道を歩んできた。彼の挑戦と、学歴社会の壁を乗り越えてきた道のりが、今、多くの人々の関心を集めている。

異色の経歴を持つ国会議員、黒田征樹氏

黒田征樹議員の政治家としてのキャリアは、彼の若き日の苦闘と、社会で培った経験に深く根差している。中学時代はサッカーと空手に打ち込む一方で、「ヤンチャ」な一面も持っていたという。高校へ進まなかった背景には、小学5年時の親の自己破産があったものの、彼はそれを言い訳にはしない。「私の出来が悪かったんです。何より、早く働いてお金を稼ぎたかった」と語る。

15歳で一人暮らしを始め、塗装会社に就職した少年期の社会は厳しさの連続だった。早朝からの重労働、灼熱の夏も極寒の冬も関係なく働き、日当6000円からスタート。しかし、この現場での経験が彼を鍛え、「誰かの役に立つことで信頼を得る」「感謝・感動の対価としてお金を得る」という社会の原理を身体で覚えた。この若き日の挑戦が、後の彼の政治活動の基盤を築くことになる。

日本維新の会所属の黒田征樹衆議院議員。異色の経歴で注目を集める。日本維新の会所属の黒田征樹衆議院議員。異色の経歴で注目を集める。

政治への目覚めと「税金の無駄遣い」への怒り

22歳で独立、27歳で株式会社Art-Projectを設立し、社長となった黒田氏の視界は、やがて「政治」へと向かう。会社設立当時、連日報道されていた「税金の無駄遣い」に直面し、「こっちは資金繰りにも苦労しているのに政治家は何をやってるんや」と強い怒りを覚えた。経営者として、そして納税者として社会と向き合う中で、当時の政治や行政の不条理に対し、問題意識を抱くようになる。税金の使い方、制度の不公平、無責任な仕組みに対する憤りが、彼が政治を志す原点となったのだ。

31歳で堺市議選に初挑戦し、その後4期連続で当選を重ねた黒田氏は、2024年の衆議院選で見事、初当選を果たし国政の舞台へ。彼の政治家としてのキャリアは、まさに現場からの叩き上げであり、地域社会の具体的な課題に真摯に向き合ってきた証とも言える。

永田町で直面した「学歴の壁」とその克服

国会議員として永田町に足を踏み入れた黒田氏を待っていたのは、温かい声ばかりではなかった。「中卒」という経歴ゆえに、色眼鏡で見られることも少なくなかったという。ある研修会で初対面の議員から「え?高校行ってないの?」と半笑いで言われた経験は、彼にとって悔しさよりも「この人は学歴でしか人を見てないんだな。でも絶対に見返してやる」という反骨心に火をつけた。

高校や大学で得られる人脈を羨ましく思うことはあるものの、それ以上に彼自身の人生だからこそ築けた、心強く実直な仲間との繋がりがある。こうした信頼関係に支えられ、今では経歴を理由に苦労を感じることはなくなったという。国会議員になるために学歴は必須ではないが、大卒が多数を占める政界には、見えない「学歴の壁」が存在するのも事実だ。黒田氏は、家族、同級生、先輩、後輩、そして何より地元の有権者たちの「期待」に支えられ、この壁を打ち破ることができた。特に、彼の昔を知る地域の「オッちゃん、オバちゃん」からの「あんたみたいなんが頑張らなあかん」という応援が、彼のエネルギー源となっている。

現場感覚こそが強み:多様な価値観を受け入れる社会へ

黒田議員は、「“期待値”のスタートラインが低い分、結果が伴えばより高く評価されることがある」と感じている。また、「這い上がってきた人間」としてのリアリティや説得力は、彼の経歴がプラスに働き、人々の心に届く瞬間を実感させている。

学歴や肩書にとらわれず、現場で培った感覚を持ち、泥臭いことも恐れず実行できる。これこそが高卒や中卒の国会議員の持ち味だと彼は信じる。頭でっかちにならず、挫折を恐れず、自身の感性を信じて挑戦する姿勢は、多様な価値観を受け入れる社会の実現において、彼が果たすべき重要な役割である。黒田征樹議員のこの熱量こそが、日本の政治を動かす新たな力となっている。


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