男女雇用機会均等法40年:第一世代女性が見た「働く」と社会の変遷

2025年に男女雇用機会均等法(均等法)は成立から40年を迎えます。1986年の施行から1990年頃までに新卒入社した、いわゆる「均等法第一世代」の女性たちが、今まさに定年を迎え始めています。均等法はその後も段階的に改正され、直近では2019年にセクシュアルハラスメント防止対策の強化が盛り込まれるなど、「働く女性」を取り巻く環境は大きく変化しました。この約40年間、彼女たちは会社の中でどのような変化を感じ、社会の動きをどのように受け止めてきたのでしょうか。

男女雇用機会均等法施行から40年を迎え、定年を間近に控えた働く女性の姿を捉えたイメージ。均等法第一世代が経験したキャリアの歩みを象徴。男女雇用機会均等法施行から40年を迎え、定年を間近に控えた働く女性の姿を捉えたイメージ。均等法第一世代が経験したキャリアの歩みを象徴。

均等法施行間もない1987年頃、四年制大学に進学する女性はまだ少なく、就職活動においては短大卒で一般職として採用されるルートが主流でした。大卒の女性が総合職を目指すのは狭き門で、多くの企業で「女性は採用しない」という暗黙の了解や、あからさまな「門前払い」が存在しました。

日本の男女雇用機会均等法の主な改正と変遷を示す図解。1986年の施行からセクハラ対策強化など、働く女性を取り巻く法環境の変化を概観。日本の男女雇用機会均等法の主な改正と変遷を示す図解。1986年の施行からセクハラ対策強化など、働く女性を取り巻く法環境の変化を概観。

渡辺さん(仮名)もまた、当時の厳しい現実を経験した一人です。関西の大学に進学した彼女は、男性向けの求人情報ばかりが届く中で就職活動を開始。面接では「え、女子ですか? ほな結構です」と、応募資格があるにも関わらず性別を理由に断られることが頻繁にありました。一般職に応募すれば、企業の「男性社員のお嫁さん候補」としての魅力が重視される状況に直面。総合職の募集人数は極めて少なく、応募可能な企業には手当たり次第にエントリーし、その数は100社を超えたといいます。

その粘り強い努力の末、関西の住宅メーカーに営業職として入社することができました。同期数百人のうち、女性総合職はわずか4人。「女子営業」と呼ばれ、社内では「すぐに辞めるだろう」と揶揄する先輩もいました。均等法による女性総合職採用はまだ2期目だったため、社員研修所には女子部屋も女子風呂もなく、男性が入る前のわずかな時間を使って急いで入浴を済ませるなど、設備面での配慮も追いついていませんでした。

新卒で入社した会社を30歳手前で退職後、転職を重ね、住宅系のベンチャー企業で25年間勤務し、今年、定年を迎えました。渡辺さんは約30年にわたる社会人生活を振り返り、「働く女性の意識が最も変化した」と感じるのは、新卒入社後の数年間だったと語ります。

当時の彼女自身の意識は、「男性とは区別されて当然」というものであり、それを理不尽だとは捉えていませんでした。「『そういうもん』だから、それを突破していかなきゃしゃあない」と考え、同期の女性たちも同様の意識だったと言います。この意識が変わり始めたのは、2つくらい下の世代からだったと感じています。下の世代では、性別ではなく「いかに数字を上げられるか」という成果主義の価値観を持って入社してくる女性が多くなり、職場全体の雰囲気が変化していったとのことです。

男女雇用機会均等法の施行から40年。均等法第一世代の女性たちがそのキャリアを終えるにあたり、彼女たちが経験した初期の困難、そして社会と職場で起きた意識の変化は、現代の「働く女性」を取り巻く環境を理解する上で貴重な示唆を与えてくれます。性別による「当然の区別」から個人の能力や成果を重視する方向への意識変革が、日本の雇用環境における大きな一歩となったと言えるでしょう。

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