日本の危機と世界情勢:思想家・内田樹氏が語る「公共の揺らぎ」

永田町の混迷、拡大する経済格差、税の不均衡、教育水準の低下など、日本は現在多くの問題を抱えています。国際情勢も不安定さを増す中、思想家の内田樹氏は、この状況を「泥舟」と表現。これは近代社会の基本理念である「公共」の危機とも関連が深いと指摘します。日本の危機と世界情勢、そして「公共の揺らぎ」について、内田氏の視点から解説します。

日本の現状や国際情勢の混乱を表すイメージ画像日本の現状や国際情勢の混乱を表すイメージ画像

世界で進行する「近代の危機」

内田氏は、現在の世界情勢を「近代の危機」と呼ぶべきだと論じます。特に危機に瀕しているのは、近代市民社会がその基礎とする「公共」という概念そのものです。この「公共」の概念が、今まさに大きく揺らいでいるのです。この「公共」概念の思想的な源泉は、ホッブズ、ロック、ルソーといった近代市民社会論の提唱者たちに遡ります。

社会契約説が解き明かす「公共」の起源

彼らの社会契約説によれば、かつて人間は自己利益のみを追求し、「万人の万人に対する闘争」という弱肉強食の「自然状態」を生きていました。このような仕組みでは、最も強い個人でさえ、自己利益の安定的な確保は約束されません。誰もが睡眠、入浴、病気、老いなどで弱みを見せる時が来るため、いつか必ず無防備になる瞬間が訪れます。どこかで弱みを見せれば「おしまい」となるような生き方は、いかなる強者にも自己利益の安定性を保証しません。

それゆえ、真に利己的に思考し、ほんとうに利己的にふるまうならば、各自の私権や私財の一部を「公共」という形で供託し、「公権力」を樹立する方が、結果として自己利益を安定的に確保できると彼らは考えました。公権力は、成員間のトラブルに対し理非を判定し、場合によっては強制力を以て、社会の安定を図る役割を担います。したがって、人間がほんとうに利己的に思考し、ほんとうに利己的にふるまうならば、必ずや社会契約を取り結んで、「公共」を立ち上げる、というのが近代市民社会論の中核的な考え方なのです。

現実を形作る「作り話」の力

もちろん、『リヴァイアサン』などで語られたような「万人の万人に対する戦い」というような歴史的事実が実際に確認されたわけではありません。社会契約説は、18世紀の人たちが手作りしたフィクションなのです。しかし、このフィクションは、市民革命を正当化するためにこのフィクションが必要でした。そして、歴史的条件が要請した物語であれば、作り話であっても巨大な現実変成力を持つ。

このようにして成立したかに見える「公共」という概念が、現代において揺らぎを見せているのです。

内田氏の指摘する日本の「泥舟」状態は、単なる国内問題に留まらず、世界的な「近代の危機」、特に近代社会の基盤である「公共」の概念が揺らいでいることと深く関連しています。

出典:Yahoo!ニュース / 集英社オンライン