交代の仮眠と携帯トイレ、アンフェタミンも 長時間の爆撃任務完遂のために必要なこととは


写真特集:ステルス爆撃機B2

それぞれ2人のパイロットが搭乗した7機のB2は、地球半周分の距離を連続飛行で往復。作戦は現代軍事史上最長の空爆の一つとなった。

メルビン・ディエール氏は、今回のような長時間任務中のコックピットがどんな状況なのか理解する数少ない人物の一人だ。米空軍の退役大佐である同氏は2001年、B2の搭乗員としてアフガニスタンでの爆撃任務に従事した経験を持つ。44時間に及んだこの任務は、現在も最長記録を維持している。

ディエール氏は21日の作戦を「信じられないほどの偉業」と形容した。攻撃に使用された航空機は125機以上。米ミズーリ州のホワイトマン空軍基地から東へ飛び立った7機のB2以外にも、陽動の一環として複数のB2が西の方角へ飛行した。B2には複数の戦闘機、偵察機、空中空輸機が従った。

現在は米空軍指揮幕僚大学(ACSC)で最新の核抑止力の研究機関を統括するディエール氏は、今回の自身のコメントについて、あくまでも01年の個人的経験からのものであることを強調。21日の空爆についての知見は持っておらず、国防総省の見解を述べるわけでもないとした。

「大統領から電話があれば、我々は飛ぶ」

当時ホワイトマン空軍基地では、任務に適格とされたパイロットらがシミュレーターを活用して睡眠サイクルに関する計画を立てていた。しかしそれらのシミュレーターは基本的に24時間までの任務しか想定されておらず、ディエール氏がそれまで経験していた最長の連続飛行時間も25時間だった。

爆撃機の搭乗員は事前に任務について知らされるが、当該の作戦がいつ遂行されるのか、または実際に行われるのかどうかさえ本人たちには分からない状況だった。爆撃の数日前になると、専門の医師が搭乗員たちに休養を促す睡眠薬を与えたと、ディエール氏は振り返る。

「分かっていたのは、大統領から電話があれば、我々は二晩飛ぶということだった」(ディエール氏)

当時の規定では、B2の2人の搭乗員は離陸や給油、爆撃、着陸といった重要な局面ではどちらも座席に着いていることが求められていた。それ以外の時間帯は、座席後方の簡易ベッドで交代で仮眠を取ることになっていた。

この20年間で多少変わったところはあるかもしれないが、当時はそのような形で給油の間の時間帯などに一人ずつ、3~4時間ほど眠ったと、ディエール氏は説明した。

任務が長引くと、搭乗員らは眠らずにいるために薬物の力も借りた。医師からはアンフェタミンの服用が承認されていたという。ただこの方針も20年以上過ぎて変わった可能性があり、21日の任務に参加した搭乗員には当てはまらない経験かもしれないと、ディエール氏は強調した。

ノースロップ・グラマン社製のB2は、稼働中の爆撃機で最も高価かつ洗練された機体だが、トイレ環境は原始的だった。機内に化学トイレは設置されていたものの、使用できるのは「より重大な緊急事態」のみ。トイレがあふれないようにするための措置だった。

またトイレと操縦席の間に仕切りはなく、プライバシーは考慮されない状況だという。

しかし高高度で与圧されたコックピット内で、パイロットは脱水症状に陥りかねず、水分補給は重要だ。ディエール氏の推計では、当時の自分と相手のパイロットは1時間にボトル1本分の水を飲んだ。化学トイレを使わない時は、ジップ式のペット用携帯トイレで済ませたという。

ディエール氏と相手のパイロットは、尿が貯まった携帯トイレの量や重さを計算した。44時間飛行する間の退屈しのぎだったという。

パイロット用の食事が支給されていたが、ほぼ座っているだけの任務でエネルギーの消費はほとんどないため、あまり多くの食べ物を口にした記憶はないとディエール氏は振り返る。

アフガニスタン上空で、ディエール氏らは約4時間かけて爆撃を行い離脱した。当初から44時間の任務として計画されていたわけではなく、アフガニスタンの領空を離れた後、引き返して再度爆撃を行うよう命じられた。ディエール氏は医師から処方されたアンフェタミンを追加で服用した。2度目の空爆後、搭乗員らはインドの南西約1770キロに浮かぶディエゴガルシア島の軍事基地に着陸した。

任務の報告の間、パイロットらは自分たちが攻撃した標的の映像を確認。その後食事を取り、約1時間の減圧措置を経て、ようやく就寝となった。



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