新年度に入り、皇后雅子さまは4月は大阪府、6月には沖縄、広島両県と地方訪問のご公務に精力的なご様子を見せられています。2004(平成16)年6月に適応障害との診断を受けられてから21年が経過しましたが、依然として療養生活を送られています。特に、過去の地方訪問の際には「〇年ぶり」といった報道が繰り返され、お責任感の強い雅子さまはご自身を追い込まれ、ご回復が遅れる一因となった時期もあったと言われています。しかし、意欲的に地方公務を果たされている今のご様子に、宮内庁関係者は「雅子さまが完全に回復される日は、決して遠くないのでは」と大きな期待を寄せています。
関西万博開幕式にご臨席され、公務にあたられる皇后雅子さま
療養生活の始まり:適応障害と帯状疱疹
雅子さまは皇太子妃時代の2003年12月、お誕生日の1週間前に体調不良を訴えられ、翌日には帯状疱疹と診断されました。その後、一時入院されたものの体調不良が続いたため、全ての公務を休止されました。翌2004年7月30日に適応障害との診断結果が公表され、本格的な療養生活に入られました。
美智子さまとの類似性:皇室医療従事者の衝撃
雅子さまは1993(平成5)年6月9日、当時皇太子でいらっしゃった天皇陛下とご結婚されました。民間から皇太子妃をお迎えするのは、1959(昭和34)年の美智子上皇后以来、実に34年ぶりのことでした。上皇后美智子さまも、皇后時代の1993年10月20日のお誕生日に失声症を発症され、赤坂御所(現・仙洞御所)で倒れられたご経験があります。このため、雅子さまの体調の異変は、皇室医療に携わる人々にとって大きな衝撃を与えました。宮内庁OBは当時の状況を振り返り、「皇室医務主管をはじめ、侍医や東宮侍医ら庁内の担当者だけでなく、常に連携していた東京大学医学部付属病院の専門医らも含め、『これはデジャブか?』と一様に青ざめたそうです」と述べています。
公務への間歇的な復帰と報道のプレッシャー
雅子さまは長期にわたる療養を続けられる中でも、ご回復に向けた努力を重ねてこられました。
2005年7月には、ご夫妻で愛・地球博(愛知万博)視察のため愛知県を日帰りで訪問されましたが、これは雅子さまにとって1年8カ月ぶりの地方訪問でした。宮内庁は当時、「本格的な公務復帰にはまだ時間がかかりそうだ」と説明していましたが、同年11月には東京都渋谷区の明治神宮会館を訪れ、児童福祉施設文化祭に出席されています。外出を伴う単独での公務としては、帯状疱疹発症前の2003年11月以来、2年ぶりのことでした。
2006年10月には、1泊2日の日程で奈良県の奈良国立博物館を訪問し、第58回正倉院展を見学されました。公務で地方を訪問するのは愛知万博以来1年3カ月ぶり、宿泊を伴う地方公務となると、2003年11月に静岡県で行われた全国障害者スポーツ大会以来、3年ぶりのこととなり、ご快復は近いのではないかと期待する向きもありました。しかし、当時の宮内庁東宮職は、「今後もご公務の出欠はケースバイケースで決めていく」と、引き続き慎重な姿勢を崩しませんでした。
その言葉通り、その後も体調の浮き沈みはあり、公務が中止や見送りとなることが繰り返されました。
2009年3月には、新宿の京王百貨店で開催された主婦発明の生活用品展示会「なるほど展」をお一人で見学されています。これも外出を伴う単独公務としては再び中断を経て3年ぶりのことでした。2010年1月には、阪神大震災から15年の節目に、追悼式典出席のため前日からご夫妻で兵庫県をご訪問されました。これについても、前出の宮内庁OBは「公務で宿泊を伴って地方を訪問されたのは2年ぶりでした」と述懐しています。このように、過去の公務復帰は間歇的であり、その都度報じられる「〇年ぶり」という言葉が、ご本人に少なからずプレッシャーを与えていた側面があったと考えられます。
皇后雅子さまは、適応障害と診断されて以来、長きにわたり療養を続けられてきました。度重なる体調の波により公務の中止や見送りが続く中、「〇年ぶり」といった報道がご本人へのプレッシャーとなる側面もありました。しかし、近年の、特に本年度に入ってからの精力的な地方訪問は、着実なご回復を示すものとして捉えられており、関係者の間には、雅子さまが本来のお力を発揮され、完全に回復される日への期待が高まっています。
出典:Yahoo!ニュース