社会人2年目の春を迎えられた天皇皇后両陛下の長女、敬宮愛子さまのご活動の幅がますます広がっています。3月には宮中晩餐会に初出席され、6月には初めての沖縄ご訪問も果たされるなど、公的な場に姿を見せられる機会が増えてきました。ご勤務先の日本赤十字社から皇居へお帰りになる際には、雅子さまがお出迎えをなさることもあるといいます。愛子さまの健やかなご成長は、雅子さまだけでなく、天皇陛下も長年にわたり温かく見守り続けてこられました。
愛子さまを支える皇后さまの深い愛情
愛子さまが社会人として活躍される姿に、母である皇后雅子さま(61)が目を細めておられることは想像に難くありません。雅子さまの小学校時代の恩師であり昆虫学者でもある岸田泰則氏は、あるエピソードを明かしています。3月17日、皇居で蛾の採集をしていた際、侍従を通じて「皇后陛下が会いたがっている」との連絡が入ったそうです。採集が終わり次第、午後8時ごろに会う予定でしたが、愛子さまが仕事から帰宅される時間と重なり、皇后陛下が愛子さまをお出迎えするため、面会は叶わなかったといいます。「次回、お会いしましょう」との伝言を受け取ったと岸田氏は語っています。
愛娘の帰宅を心待ちにされている様子の雅子さま。雅子さまと愛子さまの間の深い絆はかねてより知られています。愛子さまが10代の頃には、雅子さまの生活リズムに寄り添うかのように夜型生活となり、「母娘シンクロ」と称されたこともありました。
知られざる天皇陛下との「父子密着」な関係
母娘の深い絆の傍らで、あまり知られていないのが、愛子さまは天皇陛下とも非常に密接な関係を築いてこられたという事実です。「父子密着」とも言える陛下の育児への関わりについて、学習院関係者は次のように語っています。
愛子さまが2歳だった頃、雅子さまが適応障害と診断された時期がありました。その際、陛下は雅子さまに代わり、幼少期の愛子さまの面倒を熱心に見ておられたといいます。幼稚園に毎朝送っておられたのも陛下でした。警備上の都合から、陛下が通られる道は信号が全て青になるため、朝の通勤ラッシュの時間帯と重ならないよう、幼稚園の開門時刻よりも50分も早く到着し、開門まで待っておられたとのことです。
学習院初等科の高学年の頃には、愛子さまが遠泳の練習のために週1回通っていた「こどもの城」の水泳教室への送迎も陛下が担当されていました。約1時間にわたる水泳の授業を、陛下はプールサイドで見守っておられたそうです。
また、学校行事にも積極的に参加されました。「保護者参観にも陛下がご参加になり、周囲の母親たちとも談笑され、自然に溶け込んでおられました」と前出の学習院関係者は証言しています。これは、今ほど父親の育児参加が一般的ではなかった2000年代から2010年代前半にかけてのことです。
日本赤十字社での社会人生活をスタートさせた愛子さま(紺のスーツ姿)
陛下からの支えが愛子さまの心の柱に
宮内庁関係者は、愛子さまが天皇陛下に対して深い愛情と尊敬を抱かれている理由を明かしています。「愛子さまは、こうして陛下がご自身を長年にわたり支えてきてくれたことを、よくご存知なのです。それゆえ、陛下のことが心から大好きでいらっしゃるのです」。陛下が示された深い愛情と献身的な育児が、愛子さまの心の大きな支えとなっていることが伺えます。
大学時代にも、愛子さまが父である天皇陛下と二人で外出される姿がたびたび目撃されていました。時には2日連続で父娘でお出かけをされたこともあり、その親密さがうかがえるエピソードです。
社会人として新たな一歩を踏み出し、公的なお務めも増えている愛子さま。そのご活躍の背景には、母である雅子さまの温かいお見守りだけでなく、父である天皇陛下が幼少期から惜しみなく注がれてきた愛情と、共に時間を過ごされてきた父娘の深い絆があるのです。天皇ご一家の揺るぎない家族の絆が、愛子さまの現在と未来を支えていると言えるでしょう。
参考文献
- 文春オンライン「〈ご勤務先の日赤では「“愛子さまフロア”は通り抜け禁止」「男っ気ゼロ」…面倒見のよい先輩女性職員が愛子さまの部署に集結中〉 から続く “父子密着”だった愛子さまを幼稚園へ50分も早く送迎していた天皇陛下…雅子さまは仕事終わりの愛子さまをお出迎え」(Yahoo!ニュース)