落語家の立川志らく氏が、6月25日放送のABCテレビ「これ余談なんですけど…」に出演。国民的な人気演芸番組「笑点」との間に、かつて深い確執があったことを詳細に語り、MCの月亭八光らを驚かせた。
落語家 立川志らく氏、テレビ番組出演時の様子
「笑点」創設者の弟子が見た番組の変遷と反発
志らく氏によると、「笑点」は元々、自身の師匠である立川談志さんが創設に関わった番組だという。談志さんが目指したのは、毒気のあるブラックユーモアを取り入れた笑いだったが、番組は次第に方向転換し、より多くの視聴者に受け入れられるアットホームな笑いへと舵を切った。
この変遷に対し、志らく氏は強い反発を抱いていた時期があった。「私と『笑点』との関係は一時は最悪だった」と振り返る。30代の尖っていた頃には、自身が執筆した落語論の本の中で「笑点よ、1日も早くこの日本から消えろ」とまで過激な言葉を記したことを明かした。
その背景には、「落語家なのに、いつ笑点に出るの?大喜利やるんでしょ?と落語=笑点というイメージで見られるのが嫌だった」という思いがあったという。落語の本質を追求する自身の立場から、「落語家は落語をやるためにいるんだ!」という強い信念を持っていたため、「笑点」の存在が落語全体のイメージを矮小化していると感じていたのだ。
新幹線での三遊亭円楽さんとの予期せぬ遭遇
かつてあれほど「笑点」に対し批判的で、番組の終焉すら願っていた志らく氏だが、現在ではTBS系の情報番組「ひるおび」のコメンテーターを務めるなど、メディアでの露出も多い。対立していた当時は、「笑点のスタッフも私には激怒でした」と、関係性が冷え切っていたことを語った。
そんな緊迫した状況の中、偶然にも新幹線の中で「笑点」メンバーと一緒になる出来事があったという。志らく氏の周囲は全員が「笑点」メンバーという状況で、誰も彼に口をきこうとしない、まさに針のむしろのような空間だったと振り返る。
孤立無援の中でじっと大人しくしていた志らく氏に、当時の楽太郎さん、後の六代目三遊亭円楽さんが声をかけた。円楽さんは差し入れのあんぱんを周囲に配っており、志らく氏にも「おい志らく、お前も食うかい?」と気さくにパンを差し出してくれたという。
あんぱん一つがもたらした心境の変化
この円楽さんの温かい一言とあんぱんの差し入れは、頑なだった志らく氏の心を溶かした。「もう涙が流れるほどうれしくて」と、当時の感動を語る。そして、あんぱんを頬張りながら、「笑点の悪口言ってごめんなさい」と心の中で円楽さんや「笑点」に対して謝罪したという。
この出来事を機に、「笑点」に対する志らく氏の認識は大きく改まった。「笑点があるから日本人は落語を忘れずにいるんだと、私は目覚めて」。国民に落語という存在を身近に感じさせ続ける「笑点」の意義を認め、番組に対する否定的な発言をやめた。すると、その関係性の変化からか、円楽師匠の代役として「笑点」に2回呼ばれることになったと語り、和解が実現した経緯を明かした。
かつては消えろとまで言われた「笑点」と、その出演者である三遊亭円楽さんとの心温まる交流を経て、番組への理解を深め、関係を修復した立川志らく氏のエピソードは、多くの人々に人間関係における歩み寄りの大切さを示唆する出来事として語られている。