アメリカの政界が買収への反対を表明する逆風の中、日本製鉄はアメリカの鉄鋼大手であるUSスチールを完全子会社化しました。かつてはトランプ政権も買収を承認しましたが、最終的なスキームでは、アメリカ政府が重要決定事項に拒否権を発動できる仕組みが組み込まれており、日本製鉄がUSスチールを思い通りにコントロールできないという本質的なリスクを抱えたままの船出となりました。
日本製鉄がUSスチールの完全買収を目指した背景には、事業縮小が続き、成長が見込みにくい国内市場からの脱却という強い意図があります。鉄鋼は重量があるため、輸送に不向きなことから、生産された地域またはその近隣で販売される「地産地消」が一般的です。日本の鉄鋼需要は減少の一途をたどり、国内の粗鋼生産量は3年連続でマイナスを記録するなど、厳しい状況が続いています。日本製鉄も高炉の休止を進め、過去5年間で生産体制を2割削減するなど、事業規模が縮小する傾向にあります。このような状況から、成長が続くアメリカ企業を買収することで、事実上の日本脱出を図る戦略を進めてきました。
しかし、この戦略の前に立ちはだかったのが、保守化するアメリカの世論でした。USスチールの買収に対しては、ジョー・バイデン前大統領(当時)が反対を表明し、その方針はトランプ政権にも引き継がれ、一時は買収そのものが頓挫するかに見えました。
買収承認の背景と米政府の「黄金株」
今回、トランプ政権が買収を承認したことは、一見するとアメリカ側が大きく譲歩したようにも見えます。しかし、その実態は異なります。その理由は、USスチールの重要決定事項に対して拒否権を行使できる、いわゆる「黄金株」(拒否権付き株式)をアメリカ政府が保有するからです。
黄金株とは、たとえ1株の保有であっても、株主総会決議事項や取締役会決議事項に対して拒否権を行使できる特別な種類の株式を指します。
黄金株は、中国において共産党との対立が表面化した巨大テクノロジー企業アリババ・グループを事実上、政府の管理下に置くために中国政府が用いた手段としても知られています。企業が政府に対してこの種の株式を発行した場合、取締役会における経営の自由度は大幅に制限されることになり、経営権を事実上放棄したと見なされても仕方がありません。
黄金株は企業のガバナンスを歪める可能性があり、アメリカでは通常、上場企業が発行することは認められていません。今回、USスチールは日本製鉄による完全買収によって非上場化されるため、この黄金株の発行が可能となりました。
同社はアメリカ政府と協定を結んだと報じられており、USスチールの独立取締役のうち1人をアメリカ政府が直接任命する権限を持ち、さらに残る2人の人事についても拒否権を行使できるなど、経営に対して絶大な影響力を行使できる内容と伝えられています。
ペンシルベニア州ブラドックにあるUSスチール工場。日本製鉄による買収が完了し、今後の経営に注目が集まる。
経営への影響と将来の不確実性
アメリカ政府がどのような条件で拒否権を発動するのか、その基準は現時点で不透明であり、日本製鉄はUSスチールを思い通りに経営できないリスクが半永久的に残る可能性があります。3兆円を超える巨額の資金を投じ、会社の経営権を事実上制限される可能性を受け入れてまでUSスチールを買収することが、日本製鉄にとってどれだけのメリットをもたらすのか、現時点では合理的な説明は十分に行われていません。
少なくともトランプ政権からすれば、3兆円という巨額の資金を日本から引き出し、USスチールの経営体制やアメリカ国内での雇用を守ったという点で、国内向けの大きなアピール材料となることは間違いありません。
日本企業は過去にも、不利な条件でアメリカ企業を買収してしまい、投下した資金を回収できないという失敗を繰り返してきました。今回はアメリカ政府が直接関与しているため、さらに複雑で厄介な状況と言えます。日本製鉄の経営陣がこれまでにないほどの交渉力を発揮し、この難局を乗り越えなければ、過去の失敗と同じ轍を踏む危険性があります。