老後の移住というと、リタイア後に都市から地方へ移住するイメージが強いですが、近年、子供のいる東京に地方から移住する人がじわりと増えています。
ただ、年を重ねてから初めて東京に住むとなると、子供のそばで暮らせる安心感がある一方、生活に適応できるかといった不安や、住み慣れた街を離れる寂しさなどが立ちはだかり、なかなか決断できるものではありません。
そこで本連載では、その“勇気ある決断”をした経験者たちの話を聞き、移住を考えている人の参考になるお話をお届けします。
この記事は後編です。(前編:「22時間労働」「忙しすぎて子どもが親をわかってない」過酷な《ラーメン店経営20年》を経て54歳で“東京移住”。12年経った現在の正直な感想)
■15年間休みなしのラーメン店経営
東北で飲食店を運営していたひとしさん・みきこさんが、姉と母の死をきっかけに東京に移住したのは2013年。
東京移住後は休みが増え、心身にゆとりができたひとしさん一家だが、岩手県内でラーメン店を経営していた15年間は特につらい時期だった。
1999年に盛岡市内で大手ラーメンチェーンのフランチャイズ店を開業。順調なスタートを切ったが、翌年出した盛岡2号店でつまずいた。
「かなり巨額の設備投資をしたのですが郊外店で売り上げが全然伸びず、わずか2年で閉店しました。これによって1店舗の利益を2号店で背負った借金の返済に充てなければならなくなり、妻も夜に店を手伝うようになりました」(ひとしさん)
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みきこさんは言う。
「特に主人はほとんど休みなく稼働していました。まとまった休みなんてなかったですね。家族旅行などもほとんどなく、せいぜい日帰りのドライブくらいでした。唯一行った泊まりの旅行といえば、岩手県内の温泉の宿泊券をもらったときくらいです。子どもには本当にかわいそうなことをしたなと思います」
以前三男が「他の家族は旅行に行っているのに、どうしてうちは行けないの?」と聞いてきたことがあったという。三男も事情は何となくわかっていたのでそれ以上は言わなかったが、父母が忙しすぎて寂しい思いをさせていたのは間違いない。