日本の少子化対策はなぜ「世界一」なのに失敗したのか? 経済的基盤軽視が招いた出生数70万人割れ

はじめに:目に見えない生活水準の低下と少子化

コメの価格がピーク時で2倍以上に高騰しても、日本社会で大規模なデモが起きることはありませんでした。社会学者の山田昌弘氏は、この状況と日本の人口減少問題を重ね合わせ、「日本は大きな改革を求めない国。気づかぬうちに貧しくなり、目に見えないところで徐々に生活水準が下がっていく」と指摘します。特に、日本の少子化は深刻な問題であり、2024年の出生数が調査開始以来初めて70万人を割ったことは大きなニュースとなりました。しかし、多くの専門家にとって、これは母数である出産年齢女性の減少から予測されていた範囲内の出来事です。合計特殊出生率のわずかな変動に関わらず、今後も出生数が減少し続けることは避けられない見通しです。この出生数減少に歯止めがかからない根本原因として、日本の少子化対策が失敗に終わったこと、特に日本社会独自の特性を考慮せず、欧米中心主義的な発想で設計された政策の欠陥が挙げられています。

日本の社会問題、少子化や経済状況に関連するイメージ画像日本の社会問題、少子化や経済状況に関連するイメージ画像

日本の少子化対策が経済的側面を見落とした理由

欧米諸国では、愛情があれば結婚し、未婚・既婚に関わらず子どもを持つという考え方が一般的です。しかし、山田氏によれば、日本人は恋愛関係にあっても経済的な基盤が安定しない限り結婚に踏み切らず、ましてや子どもを持つことは考えにくい傾向があります。

政策担当者たちは、この日本特有の「経済的な側面」を見落とし、欧米の少子化対策を模倣することに終始しました。育児の負担を軽減するための保育所整備、育児休業の拡充、育児手当の支給といった政策は、それ自体は間違っているわけではありません。実際、質の高い保育園に比較的安価で子どもを預けられる日本の育児支援水準は、世界的に見ても非常に手厚いと言えます。

世界一の育児支援でも効果が限定的な構造

にもかかわらず、なぜこれらの手厚い育児支援策が、日本全体の出生数減少に歯止めをかけられていないのでしょうか。山田氏は、その最大の理由として、これらの対策が「基本的に経済基盤のしっかりしている正規雇用の女性」を主な対象としている点を挙げます。

安定した収入と雇用形態を持つ正規雇用の女性にとっては、育児休業制度や保育所の利用が現実的な選択肢となり、仕事と育児の両立を支援する効果は大きいでしょう。しかし、非正規雇用や不安定な経済状況にある多くの人々、特に若い世代や地方の女性にとって、これらの制度の恩恵を受けにくい、あるいはそもそも結婚や出産を選択する経済的余裕がない、という現実があります。

地方と都市部に見る出生数減少の格差

この政策の対象層の偏りは、地域間の出生数動向にも顕著に現れています。驚くべきことに、東京都の出生数は全体としてはそれほど減少していません。むしろ2010年代半ばまでは増加傾向にありました。これは、東京都が他の地方に比べて女性差別的な慣習が少なく、正規雇用の機会が多いため、経済的基盤を築きやすい若い女性が多く転入してくることが要因と考えられます。

東京都の出生数推移を示すグラフ東京都の出生数推移を示すグラフ

対照的に、女性の正規雇用が限られている地方では、文字通り子どもの数が激減しています。東北地方を例にとると、2000年から約25年間で生まれる子どもの数はほぼ半減しました(2000年:8万7000人 → 2024年:3万7000人)。これは、地方における経済的不安定さ、特に若い女性が安定した職に就きにくい現状が、結婚・出産というライフプランを困難にしていることを如実に示しています。手厚い育児支援制度があっても、まず経済的な自立が難しい状況では、その制度を利用する以前の問題として、子どもを持つという選択肢自体が非現実的になってしまうのです。

結論:経済格差と少子化の深い関係

山田昌弘氏の分析は、日本の少子化が単なる育児負担の問題ではなく、経済的な不安定さ、特に若い世代や地方における雇用・収入の格差が深く根差した問題であることを浮き彫りにしています。欧米型の「愛情があれば産む」という価値観に基づいた政策ではなく、日本社会特有の「経済的安定が前提」という現実を踏まえた対策が必要であると示唆しています。手厚い育児支援は重要ですが、それ以前に、誰もが将来への経済的な不安なく結婚し、子どもを持ちたいと思えるような社会・経済構造の変革こそが、日本の少子化に歯止めをかける鍵となるでしょう。目に見えないところで静かに進行する人口減少とそれに伴う生活水準の低下は、今、日本が最も向き合うべき課題の一つです。

参考文献

Yahoo!ニュース / PRESIDENT Online